こんにちは。YoFuです。
今回は、『世界の伝統的な住まい・ヴァナキュラー建築 洞窟の住居編』です。
洞窟住居の歴史は古く、人類の最初の住まいだと言われています。今でも世界中にたくさんの洞窟住居があり、5000万もの人が住んでいます。
住居を掘る作業は、彫刻と同じです。岩の塊から作り出すのが、居住空間か芸術作品かの違いだけです。
洞窟住居は、人間と自然がつくり上げた彫刻です。ぜひ、楽しんでください。
- まえがき、洞窟住居について
- イタリア、マテーラの洞窟住居『サッシ』
- トルコ、アナトリア高原、カッパドキアの洞窟住居
- ギリシャ、キクラデス諸島、サントリーニ島の洞窟住居
- スペイン、アンダルシア州、グラナダ県、グアディクス(Guadix)の洞窟住居
- ルーマニア、オルト県、泥の竪穴式住居
- フランス、ロワール川、ドロンヌ川の洞窟住居
- チュニジア南部、マトマタ山脈(Matmata)、マトマタ・ベルベル人の洞窟住居『ハウシュ(Haush)』
- 中国、黄土高原、『窰洞(ヤオトン)』
- 台湾、蘭嶼の竪穴式住居
- あとがき
- 関連記事
- 参考にした本
まえがき、洞窟住居について
洞窟は、人類が獲得した最も古い住居の形です。現在でもおよそ5000万もの人が暮らしています。
最初は単に、自然の洞窟に住み着いただけで、住居を造ったとは言えません。動物の巣と同じ単なるねぐらです。
洞窟での暮らしは、外とは比べ物にならないほど快適で、風雨、雪、日光、寒気、外敵・・・生きていくのに妨げになるものを防いでくれました。外気温が−50°まで下がろうとも、穴の中は10°前後と暖かく、凍てつくような氷河期でも生き延びることが出来ました。
この快適な住居のねぐらが、原始人に、より快適な住まいを造らせるキッカケとなりました。洞窟住居は、現代のすべての住まいの原点です。
そのうち、人類は自分で洞窟を掘るようになり、世界中で様々な洞窟住居が誕生しました。
洞窟住居は世界中に存在していますが、地中海地域は洞窟住居の集積地の一つで、有名な洞窟住居が数多く存在しています。
世界中の洞窟住居のいくつかは、現在まで人が住み続けています。
洞窟住居の分布
洞窟住居は世界中にありますが、分布は地質に関係しています。洞窟住居に適した地質があるところにしか分布していません。
昔はもちろん重機などはありません。特に古代では、石を鋭く割ったようなごく簡単な道具しかありません。簡単な道具を使って、手で掘らないといけません。
必然的に、堅い地質ではなく、軟らかくて掘りやすい、かつ、洞窟を掘っても崩れないような耐久力のある地質に洞窟住居が掘られることになりました。
洞窟住居に適した地質は、石灰岩、火山砕屑物、黄土などです。
地中海地域に洞窟住居が多いのは、これらの地質が多いからです。
洞窟住居の特徴として、同じ地域でも、部屋の間取りや形が違うということがあります。地形に合わせて洞窟を掘るので、成分の密度や奥行きなどは場所によって違うので、どうしても統一されません。
洞窟住居の利点と問題点
洞窟住居は利点が多いです。
地球が勝手に、年中通して一定の温度に保ってくれます。なので、夏は涼しく、冬は暖かいです。雪、雨、強い太陽光、風、外敵なども防いでくれます。
反面、問題も多いです。
問題の原因は、開口部が小さく、しかも正面にしかないことです。
なので、日光が住居の手前にしか入ってきません。奥が薄暗くなります。
通気性も悪いので、空気が淀んでしまいます。また、地質と環境によりますが、湿気が溜まりやすくてジメジメしています。陰気です。
地中海地域はカラッと乾燥した気候なので、湿気が溜まりにくいですが、中国の窰洞は湿気が多くてかなりジメジメしています。
一番の問題が、地震に弱いことです。ひとたび地震が起これば、いくつもの住居が崩壊します。実際、中国で地震が起こったときは数え切れない数の犠牲者が出ました。
しかし、このデメリットを天秤にかけてもなお、メリットのほうが多いのでしょう、ずっと使われ続けています。
部屋の中での作業が行いにくいので、住居の前庭を大事にしました。前庭は外なので、陽の光があたって明るく開放的です。作業場は前庭に設けられ、日中は家の外、前庭で活動していることが多いです。
もっとも、現代の洞窟住居は住みやすくなるように改善され、古代の洞窟住居とは比べ物にならないほど住みやすくて快適です。科学の力は偉大です。
イタリア、マテーラの洞窟住居『サッシ』
・マテーラの風景、所狭しと家々が並んでいます。頂上にあるのは、洞窟の教会です。
・マテーラの夜景
マテーラとは、イタリアの街の名前です。
サッシとは、ラテン語で岩や石を意味するsaxumからきています。マテーラにおいては洞窟住居を意味します。
マテーラ全域に洞窟住居があるわけではなく、街の中に洞窟住居が集まっている地区が2つあります。カヴェオーソ地区(Sasso Caveoso)と、バリサーノ地区(Sasso Barisano)です。
マテーラの歴史はとても古く、先史時代にはすでに洞窟に人が住んでいました。そして、現在までその伝統が続いています。
マテーラは、グラヴィナ渓谷に位置しています。グラヴィナ渓谷は、石灰岩の一種であるトゥファの地層から成っています。雨水で侵食された天然の洞窟があり、古代の人々は天然の洞窟を住居として使っていました。
トウファは比較的柔らかくて削りやすかったため、そのうちに人々は自分で洞窟を掘って住居を造るようになりました。
数千年に渡って家が掘られてきたため、洞窟住居は隅々まで所狭しと並んでいます。
マテーラの洞窟住居の特徴
マテーラの洞窟住居のタイプは大きく分けて2種類あります。
構造のすべてが洞窟である、完全な洞窟タイプ。
洞窟の前面に家を建てた、半分洞窟、半分屋外のタイプ。
ちなみに、洞窟を使っていない普通の住居も建てられています。
マテーラは長い歴史の中で、隅々まで所狭しと住居が掘られてきたので、上下左右の建物が自然とつながったり、無秩序につながったりしています。
もちろん、計画的につながれる場合もあります。
既存の洞窟住居の上に新しい部屋を掘って、上下につなげたり、隣に新しい部屋を掘って、水平に連結したり。
新たに住居を掘る場合、地形に合わせて掘ることになるので、必ずしもキレイに真っ直ぐつながるとは限りませんでした。曲がった形でつながれることもありました。
また、街全体に効率的で優れた水利システムが敷かれており、街中に水路が張り巡らせてあります。家には貯水槽が設けられることもあり、多いところだと、7つの貯水槽を持っている家もありました。小さな広場には井戸が掘られることが多く、住民に水が供給されていました。広場は人々の社交場としても役立っていました。
ちなみに、教会や修道院なども洞窟です。
現在のマテーラ
長い歴史を持つマテーラですが、半世紀ほど前に一旦途切れます。
1950年代に環境が悪化したため、政府によって集落全体が封鎖させられ、2万人の住民は近隣に引っ越しをさせられました。
その後、政府は莫大なお金を投じて再生計画をスタートさせ、1986年に再生が完了しました。住民が戻ってきて、かつての賑わいも戻ってきました。
1993年には、世界遺産に登録されました。現在は有名な観光地として栄えています。
トルコ、アナトリア高原、カッパドキアの洞窟住居
・ギョレメの村の風景、岩に洞窟住居が掘られています
カッパドキアとは、地方の名前です。
カッパドキアの地層は、火山灰が降り積もって固まり形成された、凝灰岩の層から成っています。数え切れないほど長い時間の中で、自然の浸食作用により異様な形に削られています。
異様な形の奇岩がカッパドキア地方の風景を形つくっています。
凝灰岩は洞窟住居にかなり適しています。柔らかいので掘りやすく、空気に触れると化学反応で固くなり、強度が増します。
簡単な道具でも簡単に掘れるので、数多くの洞窟住居が掘られました。洞窟住居がいくつも集まって形成された集落が、カッパドキアのあちこちに点在しています。
集落の中で有名なのが、『ユルギュップ』や『ギョレメ』です。
洞窟住居が驚異的に進化したものもあり、それが地下都市です。地中の奥深くまで掘られ、多いときでは、一つの地下都市で数万もの人が暮らしていました。住居だけでなく、生活に必要な施設も掘られ、地下都市だけで生活できるようになっています。
カッパドキア全体で数十個の地下都市が存在しており、その中で有名なのが『デリンクユ』や『カイマクル』にある地下都市です。
最初に洞窟集落ができたのは、初期キリスト教の時代です。
ペルシア軍やアラビア軍から逃れてきたキリスト教徒が、自身の信仰と守るため、身を隠すために穴を掘り、そこに住み始めました。
ユルギュップやギョレメなどの村での洞窟住居の建設方法
すべて手掘りです。手斧を使って洞窟を掘り、複数階層の住居を建設します。
掘りすぎてしまうとやり直しはきかないので、失敗は許されません。掘りすぎて壁が薄くなってしまうと、洞窟を支える強度が足りなくなり、崩れてしまいます。運が悪ければ、生き埋めです。
掘りすぎて崩れた住居は数知れずです。
住居を支えるのに十分な壁や床の厚みを考慮しながら、慎重に洞窟を掘っていきます。掘った跡がそのまま、住居の壁や床、天井になるので、工程の終盤は丁寧に仕上げられます。
洞窟住居の多くが、四角い床と水平な天井、直角の角を持っており、一般的な住居のような見た目に仕上げられています。
また、戸棚や机、イス、寝台などの家具も、壁を掘って造ります。
住居が完成すると、洞窟を掘った際にでた破片を使って、鳩小屋や家畜の囲い、前庭の囲いなどの付属の建物を造ります。
レンガ造りの住居を建て、洞窟住居と併用する場合もあります。
妖精の煙突
・妖精の煙突
カッパドキアの奇岩地帯のシンボルの一つです。円錐形の塔のような岩の上に、違う種類の岩がちょこんと載ったものです。岩が帽子をかぶって、オシャレをしたような見た目です。自然がつくり上げた、驚異的な造形です。
カッパドキア各地にありますが、ギョレメのものが特に有名です。
トルコ語でペリ・バジャラル「妖精の煙突」。
これは、上と下で岩の種類が違うことにより誕生しました。
下は侵食されやすい軟岩で、上は侵食されにくい硬岩でした。
軟岩は雨風で侵食され、崩れていきますが、硬岩は侵食されにくいので残ります。上の硬岩が、下の軟岩の盾のようになり、硬岩の真下の軟岩だけが侵食されずに残り、塔のようになりました。
見た目だけでも驚くべきことですが、さらに驚くべきことに、洞窟住居を掘って人が住んでいる場合があります。
大きいものだとなんと、5階建てのものもあります。
地下都市
・地下深くまで広がる、地下都市の階段
最初に洞窟集落ができたのは、初期キリスト教の時代です。
ペルシア軍やアラビア軍から逃れてきたキリスト教徒が、自身の信仰と守るため、身を隠すために穴を掘り、そこに住み始めました。
洞窟住居の村や、地下都市を建設しました。地下都市の数は数十個にも及びます。
地中深くまで掘りすすめて、何層にも成る地下都市を造り上げます。
地下都市の内部には、家はもちろん、井戸、貯蔵庫、便所など、人が生活するのに必要なものがほとんど揃っていて、教会も設けられています。地下都市の内部で暮らせるようになっています。
地下深くまで掘られた換気口が、下まで空気を供給していました。
迫害から避難するために建てられたためでしょう、内部はとても複雑で入り組んでいます。
各地下都市間はトンネルで繋がれ、広大なネットワークを形成していました。
1番大きな地下都市が『デリンクユ』、2番目に大きなものが『カイマクル』にあります。その2つの地下都市はなんと、全長9kmもある地下トンネルでつながっています。
デリンクユの地下都市はなんと、深さ100m近くもあり、2万もの人が暮らせるほど巨大な規模を誇ります。
今となっては想像するしかありませんが、地下都市での生活は想像を絶するほど大変だったでしょう。太陽光が入ってこないために室内は常に暗く、かといって明かりを灯すと、煙が充満してしまう。煙を排気しようとしても、煙出しの穴の数が限られていて、煙は十分に排気できません。階段は急なうえにすり減っていて滑りやすく、通路や個室は狭いです。信仰のためとはいえ、生活していくのはかなり大変だったことでしょう。
ギリシャ、キクラデス諸島、サントリーニ島の洞窟住居
・サントリーニ島の断崖。断崖の上に家々が並んでいます。
・頂上へ続く道や斜面に沿って、家々が並んでいます。
・海のパノラマビュー
エーゲ海に浮かぶ、三日月型の火山島です。
白い壁の家々が並ぶ、美しい景観としても有名で、世界中から観光客が押し寄せる人気の観光地です。
カルデラの一部が島として残ったもので、島の周囲は断崖絶壁です。
島の土壌のほとんどは、パミスという火山砕屑物です。パミスは、多孔性で軽く、砕きやすくて掘削しやすいです。ローマン・コンクリートの素材として使用されていたほど優れた建材でした。
サントリーニ島の住居は、パミスを使用して建てられています。
島の頂上に村があり、頂上に向かうジグザクの道や山の斜面に住居が掘られました。横向きだけでなく、下に向かって掘られることもあります。
少ない土地を活用するため、隣の家とは隙間なく掘られ、ほとんどが2階建てです。
住居の前面に門と前庭が設けられています。前庭は屋根が架けられてテラスになっており、昼間はここで生活をしています。また、物置や2階へ続く階段、洗濯場、便所などが設けられています。
部屋の数は家によってまちまちですが、いくつか部屋があり、居間や寝室、炊事場などで使い分けられているのが一般的です。
テラスからの眺めと日当たりは抜群です。イスラムの影響を受けた青いドームも美しいです。
真っ白の壁
キクラデス諸島の家の特徴は、強迫観念にとりつかれたかのように家の壁を真っ白に塗りたくることです。これは、サントリーニ島に限らず、キクラデス諸島の島々共通です。
塗料は、火山灰から造った白い石灰です。
白く塗ることにはちゃんと意味があります。照りつける太陽の日差しを跳ね返し、室内を快適に保つため、真っ白に塗られています。
石灰には光を反射する性質があるので、壁の表面を石灰でコーティングすると、壁が太陽光線を跳ね返すようになります。
コーティングしなかったときと比べると、劇的に太陽光線を跳ね返します。太陽の熱も跳ね返るので、熱が内部まで伝わらず、室温も劇的に下がります。
ちなみに、コーティングは分厚く塗れば効果が増すので、壁の白色はかなり分厚いです。
近年では、白色以外の色も塗られることがあります。
また、観光地として有名になったことも、真っ白に塗りたくられる理由の一つです。
旅行パンフレットでキクラデス諸島の白い家々の風景が宣伝されたことで、観光客に白い家のイメージが刷り込まれました。もしも実際に観光客が来たときに、家が白くなかったら、イメージがガタ崩れです。他の観光人も来なくなってしまいます。
家は絶えず白くしておかないと観光客がやって来ません。住民は、観光客を逃さないため、家を絶えず白くしておくのです。
スペイン、アンダルシア州、グラナダ県、グアディクス(Guadix)の洞窟住居
・パノラマビュー、あちこちに白い煙突が突き出しています。その下に洞窟住居があります。
・白い煙突の下にある、洞窟住居とその正面。
・洞窟住居、地上に向き出している部分の屋根にスペイン瓦が葺かれています。
地中海性気候で夏は暑く、冬は寒い、カラッと乾燥している。中世ころまでイスラムの支配を受けていたため、アラブ文化の影響が強いです。
地質は、凝灰岩をはじめとした堆積物や粘土質の土壌で出来ており、洞窟を掘るのに適しています。
グアディスは洞窟住居が古くから広く使用されており、リオ・ファルデス川(Rio Fares)の峡谷やサクロモンテ地区など、洞窟住居を持つ村が点在しています。
リオ・ファルデス峡谷の村
今も12000人以上が住んでいる村です。
なだらかな丘陵地帯の地面から、白い塔がいくつも飛び出しています。これは、洞窟住居の煙突で、その下に洞窟住居があります。
洞窟住居の出入り口となる、正面の壁は小石を積んで造ったもので、漆喰もしくはタイルで仕上げられ、白くキレイに塗られています。出入り口と窓は木枠で設けられています。屋根はスペイン瓦が葺かれています。
穴はすべて素ぼりです。粘土質の土壌を叩きしめて、壁は漆喰、床はタイルで仕上げています。部屋は4つほどで、そのうちの2つほどが前面に面しています。堅いところを避けて、掘りやすい場所だけ掘るので、部屋の形はそれぞれです。
男2人で3〜4ヶ月かかる重労働です。
洞窟でありながら、地中海性気候のおかげで内部は乾燥して過ごしやすいです。
20世紀に入ってから、多くの洞窟住居が遺棄されてきましたが、最近になってリバイバルブームが起きました。内部がキレイに改装されたり、正面に何かしらが増築されたりして、住む人が増えています。
近年のリバイバルブームで改修された家は、キレイな矩形の部屋を持つ場合が多いです。
サクロモンテ地区
数多くの洞窟住居が今も存在しており、今も使用されています。
多くが傾斜路に沿って建っています。道に沿ってタイルの屋根と漆喰塗りの壁が張り出しながら並んでいる姿は、かなり美しいです。
いくつかの部屋から成り、ボールト状の天井を持つ主室、寝室、食堂、台所、寝室など、用途に合わせて使い分けられています。各部屋は、卵型の出入り口を通じてつながっています。室内は漆喰で仕上げられています。
以前はジプシーが住んでいましたが、現在は移民や難民が多く住んでいます。移民や難民は、村の外れに最近でも造っています。
スペイン、アンダルシアのその他の洞窟住居
・スペイン、アンダルシア州、カディス県、セテニル
硬い岩盤なので、壁の厚さが比較的薄いです。
・スペイン、アンダルシア州、アルメリア県、アルマンソーラ
正面の壁は石灰岩のままで、内部は滑らかに削られ、その上に漆喰を塗ってキレイに仕上げられます。
ルーマニア、オルト県、泥の竪穴式住居
・村落博物館で保存されている竪穴式住居
伝統的な竪穴式住居があります。地表には屋根だけが見えており、構造は地中に埋まっています。
竪穴式住居なので、厳密には洞窟住居とは違います。
唯一見える屋根は、芝土で覆った上に茅を葺いているので、周囲の草地に溶け込んでいて発見しずらいです。冬は、雪が積もるのでより見えにくくなります。
現存していませんが、ルーマニアのブカレストにある村落博物館(Dimitrie Gusti National Village Museum)に移築されています。
この村落博物館には、他にもルーマニアの伝統的な住宅が展示されています。
フランス、ロワール川、ドロンヌ川の洞窟住居
今でも洞窟住居が使われています。
石灰岩の崖をくり抜いて、2階建ての住居を造っています。
ドア付きの正面ファサードはきれいに整えられ、2階の窓には雨戸が、岩のバルコニーが設けられています。
かなり丹念な造りになっており、正面からは普通の家のようにしか見えないものがあります。
チュニジア南部、マトマタ山脈(Matmata)、マトマタ・ベルベル人の洞窟住居『ハウシュ(Haush)』
・パノラマビュー、点在している窪みが洞窟住居です。
・洞窟住居、竪穴の側面に部屋が並んでいます。
砂漠地帯で、乾燥して乾ききった、赤砂岩と泥灰土の荒れ地に掘った洞窟住居です。
中国にある窰洞の下沈式と構造が似ています。
砂嵐を避け、アラブ人の襲撃を逃れるために地下に造られています。
まず、直径10〜15m、深さ5〜6mの竪穴を地面に掘ります。平面の形は決まっておらず、円形に近いものもあれば、矩形に近いものなど様々です。岩を削って、階段かトンネルを設け、地上と竪穴の底を行き来できるように接続します。
そこを通って竪穴の底まで下ります。
竪穴の側面に部屋を掘ります。大抵、2階建てで、2階は穀物庫として使用されます。掘った部屋の隣にも部屋を掘り、部屋同士をつなぐトンネルも掘り、内部で自由に行き来できるようにします。掘る部屋の数もそれぞれで、画像では3つの部屋が掘られています。
洞窟住居の正面の壁の仕上げ方も様々で、掘ったらかしで何もしない場合や、滑らかにならしたり、日干しレンガを一面に並べたりなど、様々です。画像では日干しレンガで一面を埋めています。
砂漠地帯なので、水を確実に確保するために竪穴の壁沿いに井戸が掘られたり、貯水槽が設けられたりします。竪穴から離れた場所に貯蔵庫や家畜小屋が設けられることもあります。
室内の温度は快適で、太陽が照りつける暑い昼間でも、夜になり砂漠の砂が冷えて寒くなってきても、ほとんど変化せずに一定です。
ベルベル人の洞窟住居が一般的に知られるようになったのは、1969年です。
この年に大豪雨が起き、多くの洞窟住居が浸水し、被害を受けました。これがきっかけで、政府の主導により地上に家が建てられるようになりました。
中国、黄土高原、『窰洞(ヤオトン)』
・窰洞が並ぶ村
黄土高原に造られた洞窟住居の総称です。窰はかまど、洞は洞窟という意味です。
中国内陸の北部の河南省・山西省から北西部の陝西省・甘粛省まで、黄土の高原が帯状に広がっています。長年の間に黄土が積もりに積もって層となっています。分厚いものでは、深さ数100mに達します。
・黄土高原は、中国北部の赤い丸で囲まれたあたり
とても乾燥した地帯で、雨はほとんど降りません。木もほとんど生えておらず、木材はかなり貴重です。
また、夏は35°以上、冬は氷点下にまで下がるという極端な気温です。
そんな過酷な環境を乗り越えるために、洞窟に住居が造られました。過酷な環境でも快適に暮らすための工夫が施されています。
黄土とは、風化した岩石が風で飛ばされて堆積した、黄灰色のとても細かい粒子のロームのことです。
多孔質で掘削しやすく、乾燥すると非常に強くなります。水を含ませると粘土のように粘り気がでるので、水で溶いて自由な形に固めることもできます。深いところではより緻密になります。洞窟を掘るのに最適な土壌です。
中国の黄河高原は、この黄土が積もりに積もって層となったものです。分厚いものでは、数100mもの深さの黄土の層が存在しています。
黄土の層の表面の土は、風で飛ばされてきたばかりなので、柔らかくて住居に使うのには不向きです。ただ、ミネラルを大量に含んでいて肥沃なので、農業に適しています。
黄土高原に住む人々は、洞窟を掘って住居を造り、暮らしています。
黄土高原の洞窟住居の歴史はとても古く、夏王朝時代にも遡ることができます。
現在でも、中国の黄河中流域には4000万もの人が洞窟住居に暮らしています。
窰洞の建設
すべて手掘りです。伝統的な鍬やスコップなどを使って土を掘り、手作業で土を外に運びます。土の乾燥具合を確認しながら少しずつ作業を進めていくので、完成までに何ヶ月もかかります。
手間がかなりかかりますが、丁寧に作って完全に乾燥させると、2〜3世代は使えるしっかりとした頑丈な造りの住居になります。手間をかける価値はあります。
洞窟住居の作り方は3種類です。
崖の側面を掘って造った洞穴式住居『靠崖窰(カオヤーヤオ)』
地面に竪穴を掘り、その側面を掘って造った地抗式住居『地坑窰(ディークンヤオ)』または『下沈窰(シャーチェンヤオ)』
地上に、黄土の日干しレンガまたは、黄土を付き固めて造ったボールト型の住居『箍窰(グーヤオ)』
靠崖窰
靠崖窰は、崖に洞窟を掘って造った住居です。世界中で広くみられる、ポピュラーな形式です。陝西省北部の延安が有名です。
少しでも日当たりを良くするため、南面する崖が選ばれます。
良さげな崖が見つかったらまず、正面の壁を造ります。
次いで、入口となる部分から掘り進めて、部屋を掘ります。部屋の幅と高さはともに約3m、奥行きは日光の届くくらい、天井はアーチ型に掘り、ボールト状の部屋を造ります。内部の補強として、木を添えることがあります。
仕上げとして、正面に窓を設け、表面をなだらかにしたり、レンガでファサードを仕上げます。室内には、黄土の泥と塗って滑らかにします。入り口の脇に、火で温めるベッド「炕」(カン)を設置します。
地坑窰または下沈窰
地坑窰または下沈窰は、窰洞独特の洞窟住居です。見渡す限り平たい、崖のない土地で洞窟住居を造るために開発された技法です。
ベルベル人の洞窟住居と似ています。
崖がなくて靠崖窰が造れないから、崖そのものをつくりだしてそこに靠崖窰を造ったようなかっこうです。
まず、1辺10m程度、深さ6m程度の正方形の竪穴を、4面が東西南北に正対するように掘ります。この竪穴は中庭兼前室で、作業場として使用されます。
この中庭の4面に部屋を掘ります。南面するところは年長者の部屋、東面は子どもたちの部屋、西面は台所兼貯蔵庫、北面は常に日陰なので豚小屋や便所など。たいてい、1面に複数の部屋が掘られました。中庭へのアクセスのために、斜面や階段を設けます。
中国伝統の住居様式、四合院を地面に埋めたような形です。
黄土高原の南部に比較的多く見られる形式です。
仕上げ方法は東西で違います。東部は西部より雨が多いので、雨の対策として外壁に焼成レンガを貼り、入り口上部に庇を設けます。
西部は雨が少ないので、雨対策はあまり行われません。庇などは設けられず、外壁の仕上げは洞窟を掘る際に出た黄土で日干しレンガを造ってそれを貼る程度です。
箍窰
箍窰は、洞窟住居を地上で造ったような形です。乱暴に言うと、日干しレンガや黄土で造ったかまぼこ型の住居です。
洞窟住居を造るよりも10倍くらいの時間、手間がかかりますが、耐久性に優れるうえ、日当たりよく、風通しもよいので、洞窟に比べて遥かに快適に過ごせます。
材料は、黄土の日干しレンガもしくは黄土を突き固めたものです。
まず、基礎を深く掘り、壁を支えるための黄土を敷き詰めます。木製の骨組みをかまぼこ型に組み、骨組みの上に材料を積んでいきます。材料がしっかりと固定されたら完成です。
大抵の場合、1.5mほど横に2軒目、3軒目の家を建てます。家と家の隙間には黄土を入れて突き固め、その上にさらに数10cmほど土をかけます。こうすることで、屋根の上に草が生え、丘の一部となります。外観は洞窟住居になります。
内部は黄土もしくは白漆喰で滑らかに仕上げます。
台湾、蘭嶼の竪穴式住居
・保存されている、伝統的な住宅
台風の暴風や強い季節風で飛ばされないように、竪穴を掘って、穴底に木造住宅を造ります。地表には屋根だけ見えています。
竪穴式住居なので、厳密には洞窟住居ではありません。
あとがき
洞窟住居は世界中にあるので、ここでは紹介しきれません。また、まだ発見されていない洞窟住居もたくさんあるでしょう。
実際、ベルベル人の洞窟住居は最近になって発見されました。
旅をしているときに、未発見の洞窟住居を探してみるのも面白いでしょう。
関連記事
参考にした本
参考にした本を紹介しておきます。ここで紹介した住居以外にも、世界中の伝統的な住まい・ヴァナキュラー建築が解説してあります。
伝統的な住まいに興味を持った人は、読んでみてください。値が張るのが多いですが・・・