こんにちは。YoFuです。
今回は、『世界の伝統的な住まい・ヴァナキュラー建築 遊牧民の住まい編』です。
世界中で遊牧生活を送っている、送っていた人たち、遊牧民の住居を紹介します。
遊牧民の住居は持ち運び可能です。環境に完全に適合させつつ、楽に持ち運び、設営、解体するための工夫が詰まっています。
遊牧民の住居は深く知れば知るほど面白くなります。ぜひ、世界中で体験してみてください。
おまけで、現代の移動式の住居も紹介します。
- まえがき、遊牧民の住居について
- ミン(Min)
- ブラック・テント(黒天幕)
- ゴーティ(Goaht)
- ユルト(Yurt)
- ティピー(TipiまたはTeepee)
- イグルー
- 幌馬車
- モービルホーム
- その他の天幕
- 現在の遊牧民の状況
- あとがき
- 関連記事
- 参考にした本
まえがき、遊牧民の住居について
世界には、移動しながら暮らしている人たちが大勢います。
移動しながら暮らしていると言っても、旅人のようにホテルを転々としながら暮らしているわけではありません。しっかりとした自分たちの住居を持っています。
彼らの住居は、持ち運び可能な折りたたみ式の住居なのです。
泊まる場所が決まったら、住居を設営し、出発するときはコンパクトに折りたたむ。
このように、移動しながら暮らしている人々を遊牧民と呼びます。
遊牧民の多くは、馬やラクダ、ヤギ、羊などの家畜動物を飼育し、飼育している家畜動物に依存して生活しています。動物の背に荷物を載せて運搬し、毛で衣服をつくり、ミルクを飲んで栄養を取り、肉を食べる。
家畜動物は大切で、家畜動物がいなければ生活していけません。なので彼らは、家畜動物に新鮮な牧草を食べさせるために、牧草地を移動しながら生活をしています。
牧草地を見つけたら、しばらくそこに滞在し、そこの牧草がなくなってきたら次の牧草地へ移動する。
砂漠に暮らしている遊牧民は、牧草に加えて水も求めて移動しています。
遊牧民の使用する住居に求められる条件は、動かない住居に求められる条件と同じです。むしろ、求められる条件が多いです。
自分たちの生活する環境で手に入る材料を使用しなければならず、手に入る材料を最大限に生かして、自分たちの生活する環境や気候に完全に適合するように建築しなければならない。
この条件に加えて、組み立てと解体が容易に出来なければならず、運搬の負担にならないように軽量でなければならない。
この厳しい条件に適合するように考え抜かれて形となったのが、遊牧民の住居です。
単に骨組みを組んで屋根をかけただけ、タープを張っただけなどのように、一見すると簡単で簡素な骨組みの住居です。工夫が施されているとは全く思えません。
しかし実際は、住居に求められる条件をすべて満たすように、全体が工夫で埋め尽くされています。
簡素な見た目からは想像もつかないほど優れた住居なのです。
環境や気候には完全に適合し、運搬・組み立て・解体も簡単にできるようになっています。
過去の人達の技術と知識が隅々まで詰まった、先人たちの努力の結晶です。
遊牧生活を送っている人は世界中にいます。そして、世界は広いです。各地で環境は全く違います。例えば、モンゴルと中東では環境がぜんぜん違います。気候、家畜動物、植物、水の有無・・・。
そのため、遊牧民と一括に言っても、場所によって生活も住居も何もかも違います。共通点は移動しているということぐらいです。
世界各地で色んな遊牧民の住居が存在しています。それぞれで見せてくれる表情が違います。ぜひ、生で、色んな住居を見てみてください。
きっと楽しいはずです。
ミン(Min)
・日本にある野外民族博物館 リトルワールドに展示されているミン
ケニア北部のンドト山地(Ndoto)とトゥルカナ湖(Turkana)に挟まれた半砂漠地帯の低地に住む、レンディーレ族(Rendille)の住居です。
レンディーレ族が住む地域は、非常に雨が少なく、全く雨が降らない月があるほど乾燥した過酷な環境です。年間降水量は250ミリしかありません。
レンディーレ族は、ラクダを引き連れ、新鮮な牧草や水を求めて移動しています。
牧草を見つけるとしばらくそこに滞在し、牧草が乏しくなってくると移動するというサイクルで、年に数回移動します。移動のタイミングは、集落の長老が決定します。一つの集落は30〜50のミンで構成されています。
集落は、家畜が逃げないようにアカシアの枝で囲います。
ミンの構造
レンディーレ族の住居はミンと呼ばれ、他の遊牧民族と同じく、設営・解体・運搬が容易にできるようになっています。
ミンは外観がかなり独特で、他のどの遊牧民の住居とも似ていません。ドームを斜めに半分ほど突き刺して、それを下から棒で支えたような、謎の形をしています。
前方と後方で違う形をしており、骨組みを組み立てると大きな巻き貝のような形になります。また、平面は正確な円形ではなく、後方より前方が広がった楕円形をしています。
・ミンの骨組み
前方と後方で骨組みが別々のため、前方と後方で形が違う独特な外観になります。
後方の骨組みは、弓なりに曲がった長い木の枝を組んだもので、ドームを斜めに地面に突き刺したかのような見た目をしています。
前方の骨組みは、後方のドーム状の骨組みを支えるように、後方のドームの縁に沿って真っ直ぐな棒を等間隔に配置したものです。
骨組みを組み終えると、サイザル麻の布地で全体を覆います。後方の一部分だけは、動物の皮で覆います。寝るときの夜風を遮ったり、暑いときは開けて空気を入れ替えたりします。
覆いが飛ばされないように、全体をロープで縛ってしっかり固定し、安定させたら完成です。
骨組みが前方と後方で分かれているように、内部も前方と後方で分かれています。
前方は広くて開放的なので、作業場や、薪や牛乳入れる容器などを収納するための物置などに利用されています。
後方は寝る場所で、ヤシの茎と皮で造ったマット敷いてあります。背が高く、人が立てるほどの高さがあります。個人の持ち物は屋根から吊るします。
ミンは女性の持ち物です。結婚の日に建てられ、その日から女性が所有、責任を持つことになります。なので、設営と解体は女性の仕事です。2〜3時間で解体できます。
運搬時はラクダに積み込みます。後方の骨組みである弓なりに曲がった長い支柱をラクダの脇腹に括り付け、頂部を結びます。そのすき間や、上に天幕やマット、日常用品を積み込みます。積み込み終えると、ラクダからは長い柱がマストのように突き出ます。
ブラック・テント(黒天幕)
・北アフリカ、ベルベル人のブラック・テント
・アフガニスタン、パシュトゥーン人のブラック・テント
ブラック・テントとは、黒い天幕のテントの総称です。天幕の素材に黒い毛を使用しているため、天幕が黒くなっています。
様々な形のブラック・テントが、西はアフリカの大西洋岸から、東はチベット高原にいたる広大な地域のあちこちで見られます。
ブラック・テントの見られる環境
・アフリカの大西洋岸からチベットまでの地図
とても広大な地域に渡って見られるため、各地で環境が全く違います。共通しているのは、この地域の大部分が乾燥した砂漠地帯ということぐらいです。
地図を見てわかるように、分布地域は砂漠の色をしています。
例えば、チベットは標高が高い山岳の高原地帯なので、冬は非常に寒く、しかも雪が降ります。中東、アフリカの大西洋岸などは、一年を通してとても暑く、昼と夜の温度差がかなり激しいです。
また、生息している動物も違います。中東ではラクダやヤギを家畜として飼育していますが、チベットでは牛に似た動物のヤクを家畜として飼育しています。
このような違いから、ブラック・テントと一括に言っても、形は実に様々です。各地でその環境に合わせたテントが発達しました。
とは言っても、構造はほとんど同じです。
ブラック・テントの構造
ブラック・テントの構造はとても簡単なものです。
天幕を地面に広げ、ロープを伸ばして地面に固定します。そして、天幕の下に柱を差し入れ、上に突き上げて地面に立てます。
柱による上に突っ張る力と、ロープによる下に引っ張る力が釣り合うことによって、天幕は安定します。
天幕の側面には側幕を設け、風や砂、埃などの侵入を防ぎます。
内部は、カーテンを設けて空間を区切ります。
柱の列の数を変えることで、内部空間の区切りの数を調節できます。また、柱の高さを高くすれば天幕の勾配がきつくなり、低くすれば勾配が緩やかになります。チベットでは雪が降るので、天幕の勾配がきつめです。
柱の数や立て方、高さ、ロープの数や張り方、天幕のサイズなどの違いで、多様性が生まれます。
黒色の天幕のアレコレ
黒色の天幕は、砂漠に降り注ぐ太陽の熱を吸収して熱くなり、砂漠の灼熱の環境には適していないように思えます。しかしそれは全くの逆で、砂漠の灼熱の環境に完璧に適合しています。
黒色は強烈な太陽光を吸収して遮り、テントの内部に濃い日陰を作り出します。
また、布の編み目は粗く、通気性が高くなるようになっています。
濃い日陰と通気性のおかげで、テントの内部はかなり快適です。太陽が照りつける日中でも、日なたと比べると温度が10°ほども低く、灼熱の太陽などお構いなしで快適に過ごせます。
雨の心配も不要です。雨が降って天幕が濡れると、粗い編み目が収縮し、雨を通さなくなります。ただ、空気も通さなくなるので、内部は蒸し暑くなり、居心地はかなり悪くなります。
ブラック・テントの天幕は、黒色の長い帯状の布を縫い合わせて、一枚の大きな布にしたものです。天幕の大きさがそのままテントの大きさになります。
帯状の布を、太くなるように縫い合わせたものなので、横方向の引っ張りにかなり弱いです。下手すると縫い目から裂けてしまいます。
なので、各地で弱さを補うような工夫を凝らしています。
アラビア湾の東側では、テントを張る際、縫い目が裂けないように長手方向に引っ張ります。
アラビアと北アフリカでは、横方向を帯紐で補強して強度を高めています。
そもそも、帯状の布を縫い合わせずに、最初から一枚の大きな布を織ればいいのですが、そうはいきません。布は機織りで織るので、帯の幅は自ずと機織り機のサイズの幅になってしまいます。大きな布を織ることが出来ません。
なのでどうしても、機織り機で織った布を縫い合わせて、天幕を造る必要があるのです。
以下で、各民族ごとのブラック・テントを紹介します。
ベドウィンのテント
ベドウィンは、アフリカ大西洋岸から中東に至る広大な砂漠地帯に住んでいます。部族の名前ではなく、アラブに住んで遊牧生活を送っている人たちの総称です。
ただ現代では、遊牧生活を捨てて定住生活を送っているベドウィンが多く、遊牧生活を送っている数は少なくなりました。
ベドウィン=ブラック・テント、というイメージが定着しているほど、ブラック・テントを使用している人々の中で一番有名です。
ベドウィンは、自らのテントをベイト・アル・シャアル(バイト・アル・シャアル)と呼びます。アラビア語で、ヤギの毛(シャアル)の家(ベイト)というそのままの意味です。
大きさは大小様々で、天幕の大きさに合わせて内部の支柱の数は変わります。長さが40m、内部の支柱が7列にも及ぶ巨大な天幕もあります。
ただ、あまりに巨大な天幕だと運搬に不便なので、あまり好まれません。
テントの内部は、基本的に2つの空間に区切られています。一つは男性の領域で、応接間や公共空間としても用いられます。もう一つは女性の領域で、厨房と機織り機があります。
ベドウィンのテントの特徴は、細長い平らな屋根とそこから水平方向に伸びる非常に長いロープです。平らな屋根は風の抵抗を減らし、砂漠に吹き付ける強烈な風の影響を受けないように工夫されています。
シリア北部の街アシャラ
日乾しレンガ造りの住居とブラック・テントを併用しています。隣接しています。
夏や昼の暑い時は天幕を使用し、冬や夜の冷える時はレンガ造りの住居を使用しています。
他の、ブラック・テントを使用している部族
イランのファールス(Fars)地方、バセリ族のクーネ(khune)
トルコ、ユルック族とクルド人
ロマ
パキスタン、バルーチ族
北アフリカ、ベルベル人
アフガニスタン、パシュトゥーン人
ゴーティ(Goaht)
・サーミ人のテント
スカンディナヴィア半島の北部からロシアまでの広大な地域に住んでいる先住民族サーミ人の使用する、移動式のテントタイプの住居のことです。
国的には、ノルウェーの北部、フィンランドの北部、スウェーデンの北部、ロシア北西部です。
住んでいる環境によって、大きく3つのグループ、『山地サーミ人』、『森林サーミ人』、『沿岸サーミ人』に分けられます。
生活タイプによっても、大きく2つのグループ、『沿岸部に住み、漁業や農業を営んで定住生活を送るグループ』、『トナカイを飼育して遊牧生活を送るグループ』に分けられます。
沿岸部に住み、定住しているサーメ人が造る住居はもちろん、持ち運べるようには出来ておらず、地面にがっしりと固定されています。何年も使えるように、丹念に造られています。
遊牧生活を送るサーメ人が造る住居はゴーティと呼ばれ、持ち運び可能なテントタイプの住居です。
トナカイを飼育する遊牧生活を送っています。トナカイのミルクを飲んだり、毛皮で衣服を作ったり、トナカイに依存して生活しています。
移動のルートはトナカイ任せです。トナカイは牧草地を自由に移動するので、それに合わせて移動します。
ゴーティの構造
ゴーティの見た目はアメリカのインディアンが使用するティピに似ていますが、作り方は全く違います。
まず最初に、先端の曲がった木を2本、先端から少し下を交差させて紐で結び、アーチ状にします。これを2組作り、間隔を開けて平行に設置します。
平行に設置した2組のアーチをつなぐように、木の棒をそれぞれのアーチの交差部に載せ、紐で結んで固定します。この木の棒は、ポットを吊り下げる用です。
このアーチ構造に10本以上の木の枝の支柱を立て掛け、円錐形を形作ります。支柱はすべて、頂部付近で交差するようします(画像の天幕から飛び出している部分です)。
支柱を立て掛ける際、入り口の枠となるペアの支柱も一緒に立て掛けます。
これで骨組みが完成です。
この骨組みに2枚の大きな三角形の布を覆い被せ、支柱にしっかりと結びつけます。夏は目の粗い帆布で、冬は分厚いウールを2層に重ねたもので覆います。
ドア枠に扉を吊り下げます。
布を覆いかぶせる際、画像のように支柱が天幕から突き出るようにします。この部分は煙出になっており、室内に煙が充満しないような工夫です。頂部にぽっかりと穴が空きますが、覆いが別にあるので雨の日でも雨が侵入してくる心配はありません。
床には、白樺の枝を一面に分厚く敷き詰めます。火事が起きては大変なので、炉の周りは石で囲み、枝は敷き詰めません。入り口は丸太で仕切ります。
荷物は外に置きます。外の入り口脇に、荷物置き場パッカス(pakkas)をつくります。2組の三脚の間に横木を渡したもので、荷物を吊るすようになっています。これは、荷物が結露で濡れないための工夫です。
ゴーティはとても簡単な構造のうえ、材料はとても軽いので扱いやすく、30分ほどあれば設営と撤収のどちらもできてしまいます。移動時の運搬も楽です。
ゴーティは、現在もまだ使用されています。
ユルト(Yurt)
・モンゴルのゲル
・広大なユーラシアステップ、画像の水色の部分
ユーラシア大陸を横断する広大な高原地帯、ユーラシアステップ。東ヨーロッパからモンゴルの東端まで、中央アジアのほとんどを占める広大な地域に大草原が広がっています。
この広大な大草原、カスピ海から東に向かってモンゴルの中央部に至る、3200キロ以上に及ぶ広大な領域に、ユルトという移動式の住居に住む人々がいます。
トルクメン族(Turkmen)、カザフ族(Kazakhs)、ウズベク族(Uzbeks)、その他多くのモンゴル系部族が住んでいます。
彼らは馬を飼いならし、巧みに操る騎馬民族であり、多数の家畜を引き連れて移動しながら生活する遊牧民、牧畜民でした。
かなり広大な地域なので、地域によって環境が違い、生息している動物も違いました。なので、家畜として飼育している動物も違いました。
馬と羊、ヤギは全域で、ゴビ砂漠ではフタコブラクダが、チベットではヤクが飼育されていました。
馬は資材の運搬と移動の脚として使われ、生活は羊に依存していました。衣服やユルトの幕は羊の毛を使用していたので、羊がなければ生活していけませんでした。
家畜に新鮮な牧草を食べさせるため、新鮮な牧草地を求めて移動する生活をしていました。
ユルトについて
各地で環境が異なる広大な地域で、色んな民族が住んでいるにも関わらず、驚くべきことに彼らの住居はほぼ共通のものです。それが「ユルト」です。
ユルトとは、トルコ語とテュルク語で住居という意味です。中国では包(pao)、アフガニスタンではケルガ(kherga)、ロシアではカビッカ(kabitka)、モンゴルではゲル(ger)、キルギス族ではボゾイ(bozoy)と呼ばれています。
ユルトの基本構法は原則的に同じです。民族ごとに細部や装飾が多少異なる程度です。
簡単に説明すると、円形の平面プランに木製の骨組みを広げ、フェルトのカバーで覆ったものです。
ユルトの歴史は古く、紀元前600年頃にはすでに使用されていました。ギリシャの歴史家ヘロドトスによって記録されています。
何千年もの間、ユルトは伝統的な住居として使用されてきました。
広大な地域にも関わらず、基本構造が共通ということは、ユルトという住居が規格化されたということです。これはつまり、ユルトが草原で騎馬遊牧生活を送る暮らしに完全に適合しているということです。
設営、解体、運搬が容易で、組み立ては2時間ほどあれば出来てしまえますし、1時間ほどあれば、ユルトと家財道具を解体、梱包して馬やラクダなどの背にのせることができます。
また、氷点下40°にもなる厳しい冬も乗り越えることが出来ます。住居を覆うフェルトは断熱性が高いので、数枚重ねれば、外の冷気を遮断できます。室内はストーブで温めれば、快適な空間になります。
夏は暑ければ、フェルトを捲りあげることで風通しが良くなり、涼しく快適に過ごせます。
また、雨にも強いです。
このように、一般に遊牧生活の住居に必要とされる要素をすべて備えています。軽量で、運搬に適しており、夏と冬のそれぞれの厳しい状況に完全に適応できるユルトは、彼らの暮らしに完全に適合しています。
それゆえ、改良も変更もする必要がなかったので、規格化した住居として定着しました。
ちなみに、一面に大草原が広がっており生えいている木が少ないので、材料は、他の地域に住む定住生活を送っていた人たちと物々交換で手に入れていました。
ユルトの構造
ユルトの壁の高さは、約1.2mです。ヤナギの細枝を組み合わせて作った、格子状の骨組みカーナ(khanaまたはkanat)をいくつかつなげたものです。
カーナは、運搬を楽にするため、蛇腹式に折り畳めるようになっています。折りたたむと信じられないほどコンパクトになります。
広げたら格子模様の四角形の角が下になるように、ヤナギの細枝を組んでいきます。ヤナギの細枝の交差部分は、革紐で軽く縛って固定しています。
一つのカーナを造るのに、30個程度の部材が必要です。カーナをいくつか組み合わせて住居の壁を形作ります。だいたい、6つのカーナで直径が約5〜6mのユルトが出来上がります。
カーナを組む際、一周グルリと囲むのではなく、一部に入り口を設けるスペースを空けておきます。このスペースに戸口の木の枠を固定します。ドアはフェルトや厚板など多様です。
壁の設置を終えると、次は屋根の骨組みです。
車輪のような王冠を、円の中心に高く持ち上げます。これが頂部になります。王冠の位置は、人の身長の1.5倍程度の高さです。また、民族ごとに王冠の形が異なります。
高く持ち上げた王冠と、壁とを棒でつなぎます。しっかり固定するため、棒は何本も使用します。王冠から放射状に棒が伸びているような見た目になります。
このままだと、屋根の重みで壁が外側に開いて崩れてしまうので、バンドを壁の上部に巻きつけて崩れないように補強します。バンドの数は、一つだけのこともありますし、複数巻きつけることもあります。
これで骨組みが完成です。あとはこの骨組みにフェルトの覆いを被せれば、ユルトの完成です。
外壁だけでなく、内壁にもフェルトを張ります。床にもフェルトを敷き、その上に毛布や絨毯を敷きます。
頂部にわざわざ王冠を用いているのは、この部分を天窓として使用したり、炉の煙突が突き出す部分だからです。
共通なのは骨組みだけでなく、内部空間も同じように分割されています。
まず入り口の方向ですが、トルクメン族は東を向いており、ほかの部族は南西を向いています。
内部は4つに分割されています。入り口は最も格付けが低く、牧夫のための空間です。入り口から左手側は男性の空間で、狩りの道具や武器などを収納していました。右手側は女性の空間で、衣類や食器などの日用品を収納していました。入り口から最も奥は、神聖な空間で、神棚が設置され、大切な客人を迎えたりしていました。そして、内部は必ず、時計回りに移動する決まりです。
また、内部空間には神性な意味があります。内部の家具の配置には宗教的・象徴的な意味があります。
この基本的なユルトに各部族がアレンジを加え、各部族独特のユルトを作り出します。
骨組みをさらに強化して安定させるため、外側から結び目を補強したり、フェルトを覆いが風で飛ばされないように、ロープをぐるぐるに張り巡らせて固定したり、装飾をほどこしたり。
以下で、各民族ごとのユルトを紹介します。
モンゴル民族、ゲル(Ger)
広大な大草原であるユーラシアステップの東部、中央アジア東部のモンゴル高原で遊牧生活を送るモンゴル民族の伝統的な移動式の住まいです。
ユルトのモンゴル民族バージョンです。
ゲルはモンゴル語で「家」を意味しています。
かつては、車輪をつけて牛にひっぱらせて、ゲルを建てたまま解体せずに移動するものも存在していました。
現代のゲルのほとんどは工場生産です。現代的な材料で造られており、現代生活を送る上で必須の機能が取り付けられています。
都市部での生活と同じ生活が行えるようになっています。
太陽光発電装置と電気配線が設けられ、電気を自由に使えるようになっています。パラボラアンテナを設置してテレビを見ることも出来ますし、携帯電話も使えます。
煙突付きの暖炉、風通さずに光だけ通すプラスチック製の天蓋、天幕を覆うフェルト素材はより雨に強いキャンパス素材に代わったりなど、現代的なゲルは今や、天幕を超えた一つの立派な家となっています。
キルギス族、ボゾイ(bozoy)
白いフェルトに茶色のフェルトで装飾が施されます。屋根の縁に沿って一周グルリと模様が描かれることが多いです。
カザフ族
・カフェとして使用されていたユルト
大きく、美しい装飾で覆われています。国立民族学博物館に復元されています。
トルクメン族
・壁がフェルトではなく、葦のマットで覆われています。
ティピー(TipiまたはTeepee)
・かつて実際に使用されていたティピー
・現代のティピー、かつてのティピーと見た目はほとんど同じです。
カナダ南部、アメリカ北部から北西部。
ミシシッピー川の西からロッキー山脈のあいだに広がる大平原に暮らすインディアンが使用していた、移動式のテントタイプの住居です。
ティピーという言葉は、スー族の言葉で「ティ」は「住居」という意味で、「ピー」は「使われる」という意味です。
ティピーが普及した背景
ティピーはアメリカインディアンの伝統的な住居というイメージが強いですが、もともとは一般的なものではなく、平原の西部で遊牧生活をおくる、ごく一部の部族、スー族やブラックフット族などでのみ使用されていました。彼らはバッファローを狩って生活していました。
平原に住む他の部族は、農業を営む定住生活を送っていました。
ティピーが広く使われるようになったのは、白人との抗争が始まってからです。
白人の侵入によって、定住地を追われました。そのために遊牧生活をせざるをえなくなり、ティピーが広く使用されるようになりました。いきなりの遊牧生活は難しいように思えますが、皮肉にも白人が持ち込んだ馬と銃を使用することで、知識がなくとも遊牧生活が送れました。馬が荷物を運搬してくれ、銃が簡単にバッファローを狩ってくれました。
馬が荷物を運搬してくれるようになったので、多少重くても問題なくなったので、ティピーは大型化しました。
しかし、乱獲によってバッファローの数は激減。加えて、白人による激しい攻撃により、多くの平原インディアンが生活していけなくなりました。
結果、生活していけなくなった多くの平原インディアンが遊牧生活とティピを泣く泣く捨て、定住生活を始めました。ティピは姿を消しました。
ティピーの構造
設営と解体を容易にできるようにするため、移動式の住居らしく極めて単純な構造になっていますが、快適に暮らすための工夫が随所に盛り込まれています。
驚くべきことに、ティピーはたった4つの部材から出来ています。1つ目は、骨組みとなる細長い木の棒。2つ目は、バッファローの皮もしくは布で造った覆い。3つ目は、内張り用の覆い。4つ目は、入り口用の垂れ幕。
このたった4つの部材を組み合わせて、ティピーは造られます。
まず、3本または4本の木の棒を、錐体になるように地面に突き刺し、それぞれの木の棒の先端から少し下のあたりをバッファローの革紐で結び合わせます。
結んだところの上部が、小さな逆さ錐体になります。この部分は天幕から飛び出すので、独特なシルエットを作り出します。
この錐体の骨組みに、円形平面になるように木の棒を10〜12本程度立て掛け、先ほどと同じように先端の少し下の部分を結びます。
これで骨組みが完成です。次に、これに天幕を覆い被せます。内側には内幕を張り、隙間風の侵入や雨だれが落ちてくるのを防ぎ、断熱効果を持っています。
最後に、入り口用の垂れ幕を入口部分につけて完成です。
天幕は半円形で、バッファローの皮を鞣し、縫い合わせて造りました。キャンパス地を使用する場合もありました。
半円形の天幕の直線部分の端から端まで、のりしろのように少しだけ皮がはみ出しています。これは、天幕を固定するための工夫です。天幕を骨組みに覆いかぶせると、こののりしろ部分だけがちょうど重なり合うようになっており、木製のピンで留めて骨組みに固定します。
直線部分の中心は、はみ出しが一際長くなっています。この部分は天幕を固定するためではなく、煙出し用のフラップです。
正確な円錐型ではなく、後方に少し傾斜しています。なので、入り口よりも奥のほうが天井が高くなっています。骨組みに傾きをつけることで、後方の支柱が筋交いの役割をすることになるので、正確な円錐形で骨組みを組んだときよりも強い風に耐えることが出来るようになります。
また、炉を中心よりも前、入口側に設置することで、後方にかなり広いスペースを確保しています。
煙抜きのための開閉式のフラップが頂部付近に付いています。風向きによって細かい調節が可能なので、内部の煙を巧みに追い出すことが出来ます。おかげで、内部は全く煙くありません。もし雨が降ってきても、閉じればOKです。
装飾は一般的ではなく、ごく一部の限られた人だけが行っていました。
年中動き回っているわけではなく、冬の間はウィグワムという冬用の住居1箇所に留まります。
白人の迫害と、バッファローの激減により、インディアンの遊牧生活は19世紀に終わりました。一緒に、ティピーも終わりをむかえました。
しかし、姿は消えましたが、伝統が消えることはありませんでした。伝統は引き継がれ、現在まで伝わっています。
インディアン保留地で行われる儀式やお祭りの際に建てたり、歴史の一つとして展示されたり、愛好家によって建てられたりしています。
イグルー
・博覧会の展示品として作成されたイグルー
・前室を持つタイプのイグルー
・イグルーの建設風景
イグルーとは、北極圏に住むイヌイットが雪だけを使ってつくる、ドーム型の冬の住まいです。夏は雪が溶けるので、ツピック(tupiq)という名前のテントで暮らします。
イヌイットとその生活環境
イヌイットとは、アラスカのベーリング海に面した地域から北の海に沿ってハドソン湾の西側まで、ラブラドル半島全域、グリーンランドなどのツンドラ地帯、北極圏のほぼ全域に渡る広大な地域に住んでいる人々のことです。
かつてはエスキモーと呼ばれており、冷たいものの象徴のような役割を持たされていました。例えば、ピノやMowなどの有名なアイスはかつて、エスキモーというブランド名で販売されていました。他にも世界中の国がエスキモーという名前を使ってアイスを販売していました。
それほど、氷=エスキモーのイメージが強いです。ただ、現在はイヌイットという名称になっています。
イヌイットが住む極寒のツンドラ地帯は、人を拒絶する、氷と雪に閉ざされた世界です。資源に乏しく、手に入るものすべてを余すことなく使用しなければ生きていけません。
イヌイットの人々は、食料、衣服、寝袋、道具、ランプ、燃料などの生活用品から、漁の網、銛、ゴーグルなどの狩りの道具まで、生活必需品はすべて、捕獲した哺乳類や乏しい資源から自らの手で生み出します。
イヌイットが全員イグルーを造るわけではなく、主にカナダに住むイヌイットが造ります。アラスカやグリーンランドのイヌイットは、めったにイグルーは造りません。
かつては、グリーンランドに住むイヌイットもイグルーを造っていましたが、3世紀ほど前から石や芝土で家を建てるようになりました。
アラスカでは、大量の流木が手に入るので、芝土で覆った丸太小屋を建てています。
アラスカでもイグルーが建てられることがありますが、ドームではなく、アネグチャック(anegiuchak)またはキレグン(killegun)と呼ばれる、矩形平面で切妻屋根の住居がほとんどです。ドームと同じように、どちらも雪のブロックを使用しています。キレグンは二重テントです。地面に約1mの穴を掘り、地面に棟木を渡し、穴の中にテントを建てます。そして、テント内部にもテントを建てます。この二重構造が優れた断熱性します
イグルーの構造
イグルーの構造は非常に単純です。雪のブロックを螺旋状に積んでドームにしただけです。
日本で雪のドームといえば、かまくらが一般的ですが、かまくらとは全く別物です。
イグルーは用途によって小型、中型、大型の3種類に分けられます。
小型のイグルーは、狩りに出たときに造る仮設のシェルターです。1泊か2泊するだけなので、小型で簡易的なものです。
中型のイグルーは、冬の間に家族で住むために作られました。今回解説するものです。
最大のイグルーは2種類あります。一つは、イヌイットが集まるための集会所で、お祝いや儀式などを行いました。もう一つは、住むためのものです。作り方も2種類あり、小さなイグルーをトンネルで結んで一つの巨大なイグルーとするか、巨大なドームを一つ造るかのどちらかで造られます。
・イグルーの構造の説明図
イグルーを作るために使用する雪は、積み重ねても崩れないように十分な強度を備えている必要があります。
そのため、地面に降ったばかりの雪は柔らかくて強度が全くないので、使えません。吹き溜まりで風によって圧縮されてカチコチに固まった雪を使用します。
雪質の良い雪が見つかったら、雪のブロックを切り出します。長さは約1m、幅は約50cm、厚さは約20cmほどです。
ブロックを切り取ってできた穴は、イグルーの出入り口であるトンネルの一部分、室内側の部分として使用されます。
雪のブロックを切り出した穴が内側に入るように、地面に直径5mほどの円を描きます。
この円の上に、切り出した雪のブロックを螺旋状に積み重ねていきます。上のブロックは、下の段のブロックと目地がずれるように積み重ねます。
雪のブロックは、上面を内側に向かって傾斜するように斜めに削ります。こうすることで、積み重ねていくと自然にドームができます。また、一段目のブロックは図のように特殊な形に削ります。
最後に、頂部の穴と同じサイズに削ったブロックをピッタリとはめ込みます。
ブロックとブロックのすき間は、雪を詰めて塞ぎます。
ドームを造り終えると、雪のブロックを切り出した穴からトンネルを掘り、ドームの外側と内側をつなぎます。これが出入り口となります。
入り口をトンネルにすることで、外の冷気がイグルー内部に侵入してくるのを防ぐことができます。また、室内の冷気が溜まる場所にもなります。
窒息しないように、換気のために小さな穴カンギルン(qangirn)を数カ所にあけます。
また、日光を取り込むために、入り口上部に窓を設けます。入り口上部に穴を開け、アザラシの腸を縫ったもので塞いで半透明の窓とするか、溶かした雪で造った透明な氷のブロックを穴にはめ込んで窓とします。
イグルーの内部空間と快適に暮らすための機能
イグルーの内部に、端から端までの基壇イクリック(iqliq)を設けます。高さは1mほどで、大人が足を伸ばして座れるほどの幅があります。イクリックの上には、木の枝や動物の骨などを並べ、その上にアザラシや獣の皮、コケなどを敷いています。
イクリックは主な生活空間で、寝床としても使用します。内部にいる時はほとんど、イクリックに座っています。床の冷気を避けるため、足は伸ばし、床にはたらしません。
イクリックの前面の床は、多機能空間ナティーク(natiq)です。家財道具や日常用品を収納したり、客を迎えたりする場所です。
イグルー内部の断熱性を高めるために、内壁に皮を張ることもありました。
皮の内張りは単に断熱性を高めるだけではありません。内張りとドームの内壁との間に冷気が溜まるので、室内の熱によって内側の雪のブロックが溶けるのを防ぐことができます。
イグルーはかなり断熱性が高いので、人が発する熱とストーブ、ランプの熱は上昇してドームの内側に閉じ込められます。一方、室内の冷たい空気は下降して、床より一段低いトンネルに貯まります。さらに、トンネルのおかげで、外と冷たい空気は侵入してきません。そのため、極寒の地にも関わらず、内部はかなり快適です。外が−40°の極寒だとしても、内部は15°もあります。
イグルーの建設から時間が経って氷が溶けると、表面が滑らかになってさらに気密性が高くなり、強度も増します。人が上に立てるほどの強度になります。
ドームを増築、連結して貯蔵庫や前室、もう一家族が一緒に暮らせるようにしたりすることもあります。
イグルーは最も効率的な住居の形だと言われています。造るのはかなり簡単で、雪のブロックを切り出して積み上げるだけです。型枠は一切に使いません。
円形のドームで、内部に冷気がたまるような角や場所がないので、空気がうまく循環します。
冬が終わると
冬の間はいいのですが、冬が終わると居心地はかなり悪くなります。熱で雪が溶け始め、屋根は陥没し、壁は崩れはじめます。凍りついていた外の排泄物も溶けはじめ、臭いが鼻につくようになります。
こうした季節の変わり目には、別のタイプの住居を設営します。冬の住居と夏の住居を混ぜたようなもので、カクマック(qaqmaq)と呼ばれます。雪のブロックを円形に並べて壁にして、棒を渡してテントの屋根をかけたもの、もしくは壁からのロープでテントを張ったものです。
夏は、テント式の住居ツピック(tupiq)に住みます。
・ツピック
トナカイの角や、やなぎの枝などを2本クロスさせて、大小2組の骨組みを造ります。小さいほうが入口側、大きいほうが奥側の支柱になります。
2組それぞれ、支柱のクロス部分と地面とに弧を描くように、棒を地面に突き刺します。そして、2組の支柱に棟木渡し、全体をアザラシや獣の皮で覆います。
入り口は狭いですが、奥は天井高く、空間も広いです。
イヌイットの暮らしは、どんなに過酷な環境でも、創意工夫で乗り越えられるということを教えてくれます。
そんなイグルーですが、近代化によって定住するイヌイットが増えたので、現在はほとんど造られていません。狩りの際の仮設のシェルターである小型のイグルーも造られなくなりました。スノーモービルを使えば、日帰りで狩りから戻ってこれるようになったので、仮設のイグルーを作る必要がなくなったからです。
幌馬車
・オレゴン州ベンドのハイデザート博物館に展示されている、幌馬車のレプリカ
アメリカ開拓時代に誕生しました。整備されていない荒れた土地を進むために、交通機関が未発達だった当時のアメリカの移住者にとって必要不可欠なものでした。
大きさや形、材料は様々でした。
木製で、アーチ型の骨組みに帆布を張った天井、数人の家族が生活するのに十分な程度の広さ、装飾のない無骨なものが一般的でした。
生活しなければならないので、室内の側面には収納棚が設けられ、水の入った樽や道具などを収納していました。
似たような幌馬車をヨーロッパのジプシーも使用しています。
ブルガリアのエタル野外民俗博物館にジプシーの幌馬車が展示されています。アメリカとは違って装飾に満ちています。ジプシーの幌馬車は家馬車とも呼びます。
モービルホーム
・トレーラーに牽引されて移動中のモービルホーム
現代の移動式住居です。一時的な住まいであるキャンピングカーよりも長期間住めるように発達した住車です。
大きさや長さはまちまちで、長さ15mを越えるものもあります。横幅は基本的に、道路の幅以下です。
自力で移動できるタイプや、牽引してもらうことで動くタイプ、2つを連結するタイプなど、実に様々です。
土地いらず、固定資産税いらず、建築基準法を制約うけないので建材を安く仕上げられ、とても安上がりの住居です。
その他の天幕
カナダ北西部、ヘア・インディアン(hare indan)
サハリン、ウィルタ族またはオロッコ族(UiltaまたはOrok)のアウンダウ
ロシア、ウラル族のチュム(Chum)
現在の遊牧民の状況
現在は、遊牧民にとって不遇の時代です。不遇の時代が始まったのは、近代に入ってからです。数多くの遊牧民が伝統的な生活を捨て、定住生活を送らざるを得なくなりました。特に、20世紀ころから急速に遊牧民の文化は衰退していきました。
生活環境の悪化により、家畜動物を飼育できるような環境ではなくなったり。政府から定住を強制されたり。遊牧生活を送りにくくなるような政治的圧力をかけられたり。昔は無かった国境線が出来上がったせいで、移動に制限がかけられたり。戦争や紛争を避けるために、遠く離れた場所へ避難しなければならなかったり。
現代は、遊牧民の伝統的な生活を脅かす要因がゴロゴロしています。そのせいで、多くの遊牧民が伝統を捨てて、定住生活を送るハメになっています。
昔の人の知恵と技術が詰まった住居を捨てて。
実際、白人の攻撃によって、アメリカのインディアンはティピによる生活を捨てて、定住せざるを得なくなりました。
また、本来人の役にたつはずの技術の進歩も、遊牧民の生活を脅かす要因の一つになっています。
例えば、スノーモービルの誕生とイヌイットのイグルーの関係です。
スノーモービルのおかげで、雪の上を信じられないほど高速で移動できるようになりました。スノーモービルを使えば、イヌイットの狩りは日帰りで帰ってこれるようになりました。
そのため、狩りの間の一時的な住まいであった小さなイグルーを作る必要はなくなりました。
逆に、進歩した技術を取り入れて、より快適に進化させた遊牧民も存在しています。それが、電気設備や携帯電話、テレビなどを取り入れた現代的なゲルです。
このように、近代に入ってから急速に、世界の遊牧民族は衰退していきました。
アラビア半島のベドウィンのように、生き残っているのはごく少数です。遊牧民の多くは、数千年かけて築き上げた伝統が終わりをむかえました。
伝統と一緒に、彼らの持っている生活の知恵も消えていきました。
数千年かけて築き上げた住居も急速に姿を消してしまいました。
あとがき
個々で紹介してきたように、世界中には数多くの種類の遊牧民の住居があります。
ここで紹介しきれなかったものもたくさんあります。
ぜひ、世界中を旅して自分の目で確かめてください。きっと楽しいはずですよ。
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参考にした本
参考にした本を紹介しておきます。遊牧民の住居以外にも、世界中の伝統的な住まい・ヴァナキュラー建築が解説してあります。
伝統的な住まいに興味を持った人は、読んでみてください。値が張るのが多いですが・・・