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世界の伝統的な住まい・ヴァナキュラー建築 北アフリカと中東の砂漠の住居編

こんにちは。YoFuです。

今回は、『世界の伝統的な住まい・ヴァナキュラー建築 北アフリカ、中東の砂漠の住居編』です。

砂漠の大地。人の立ち入りを拒むような、一面の砂に覆われた世界です。

人が住むことを拒むような世界ですが、古来より人々が住んでいます。むしろ、文明の発祥の地です。

砂漠の厳しい環境の中でも、快適に過ごすための工夫が随所に施されています。

砂漠の住居は、どんなに厳しい環境でも、工夫次第で快適に過ごすことができることを教えてくれます。しかも、エアコンのような近代的な空調設備もなしで。

ぜひ、砂漠の建築を楽しんでください。

モスクなどのイスラムの宗教的な建築についてはこちらで紹介しています。よろしければ、こちらも読んでみてください。

 

まえがき、砂漠について

北アフリカのに広がる広大な砂漠は、サハラ砂漠。

サハラ砂漠の東側にアラビア半島のアラビア砂漠が連なります。

アラビア半島の北には、シリア砂漠が連なります。

この中で、イメージ通りの砂だらけの砂漠はアラビア砂漠だけで、サハラ砂漠とシリア砂漠は大部分が細かい石の砂漠です。

一面が茶色で、青と緑がまったくないというイメージですが、青と緑がまったくないというわけではありません。

ナイル川やユーフラテス川、ティグリス川をはじめとした川が流れていますし、オアシスがあちこちに点在しています。

また、後述する地下水路カナートを用いて、山から水を引いてくることもあります。

水がある場所では、緑は成長します。農業も行われます。

人の生活は、水と緑がある場所で営まれます。なので、住居には木材が使用されないというわけではありません。

砂漠についての簡単な解説はこちら

砂漠の街

砂漠の町や都市での生活は、焼け付くような灼熱の太陽、吹きすさぶ猛烈な風とそれによる絶え間ない砂嵐、水への渇望に支配されています。こうした厳しい気候条件のもと、それをいかにして克服するかに重きを置いて街が形成されています。

これにより、砂漠の街に斬新な改革もたらされ、ユニークなヴァナキュラー建築が誕生しています。

いかなる状況下においてもすむことのできる建物建てることは、近代的な冷暖房設備を持っていない昔の建設者にとって、いかに厳しい環境でも快適に住むことのできる建物を建てることは挑戦。

砂漠の街が必要のする絶対条件は、水が確保できることです。水が確保できる場所に、砂漠の街が形成されます。

オアシスや川などの自然にあるもの、後述する地下水路カナートで水を確保しました。

水があれば、農業が出来ますし、木々が育ちます。

住居の建材について

砂漠の建物の建材は主に、砂漠の砂を用いて作った日干しレンガです。

日干しレンガについてはこちらで詳しく解説してあります。

砂の多い砂漠の土は、一見何にも使えなさそうですが、実はとても優秀な建設資材なのです。

砂漠では土がありふれているので、大量に造ることが出来ました。砂漠では雨が殆ど降らないので、日干しレンガの弱点である雨の心配が不要でした。

そのため、砂漠地帯で広く一般的な建材となりました。今でも、日干しレンガは伝統的な建材として使用されています。

さらに、暑くて乾燥した気候は、日干しレンガを乾かすのに最適な気候でした。

ちなみに、砂漠では焼成するための燃料が採れないので、焼成レンガが造られることはほとんどありません。

住居の構造について

砂漠の建物の形は、気候によって大きな制約を受けています。大きな制約の一つが、日差しです。日差しは砂漠の暑さの原因の一つなので、灼熱の日差しを防御することが建物には求められました。

日差しの防御のためにまず、建物の方位を決めます。外壁ができるだけ日差しに当たらないように建物を配置します。

特に、屋根が一番多くの日差しを受けるので、部屋の大きさに合わせて最小の表面積になるようにします。そのため、平たい陸屋根か低いドームが一般的です。

日差しが室内に入り込まないようにするため、外壁には開口部をほとんど設けません。一方の内側では、中庭に向かって開いています。太陽の熱が直接室内に差し込むのを防ぎ、中庭の冷却効果で室内を涼しくします。(中庭の冷却効果については後述しています。)また、家族の隔離にも役立ちます。

日差しがあたる屋根や外壁は太陽の熱で熱くなります。熱が室内に伝わらないための熱対策として、外壁や屋根を分厚くします。住居の建材である日干しレンガは、熱を吸収しやすく、吸収した熱はゆっくりと放出するという性質を持っています。

外側が熱をもって熱くなっても、すぐに内部にはその熱が伝わりません。外側の熱はゆっくりと内側に伝わり、気温が下がる夜に放出されます。

街路

砂漠の住居は、集合化する傾向があります。

住居が密集していると、街路は狭く入り組みますが、街に日差しが入り込むすき間がなくなるので、街路や建物の外壁に影を造ることが出来ます。

また、住居の密集は砂嵐が街の中に入るのを防ぐ役割もあります。

イスラム教徒は、家庭と女性を外から見えないように内側に厳重に隔離します。このことが、住居を造る際、街を形成する際の重要な決定要因になります。

街路が狭く入り組むのは、この点では好都合です。街路が、家庭内への視線をカットしてくれるからです。

バードギール(badgir)、風の塔、ウインドキャッチャー(windcatcher)

・バードギール(赤い四角で囲まれた部分)

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バードは「風」ギールは「捕まえるもの」という意味で、風を捕まえるものという意味です。バードは「鳥」ではありません(笑)

屋根の上を吹き抜ける風を室内に送り込む、空調の役割をしています。

バードギールは、北アフリカからパキスタンまで砂漠世界に幅広く存在しています。巧妙な空調装置であるがゆえ、砂漠世界で広く使われています。

大きな煙突が屋根の上に伸びているような見た目です。側面に設けられた穴が屋上を吹き抜ける風を捕まえ、内部のシャフトを通じて室内に送り込みます。

室内に送り込まれる風は、外を吹き抜けている風なので、室内の温度よりも高いです。エアコンのように室内の温度を下げるためではなく、室内に空気の流れを造るのが目的です。

人の快適さは、温度よりも湿度のほうが問題になるので、室内の空気を循環させて湿度を下げます。これにより、人の体感温度を下げます。

シャフトの底や部屋に通じる部分に水を配置したり、水で濡らしたマットを吊るしたりして風を冷やしてから室内に送り込むこともあります。

バードギールの高さ、開口部の穴の形や大きさ、数、シャフトの太さや数、長さなどは各地で様々です。同じ地域でも、住居ごとに様々です。かけるお金などで変わります。お金をかけた壮麗な建物では、洗練されたバードギールが設けられることが多いです。

イランのカーシャーンにあるボルジェルディ邸が凝った造りのバードギールを持つことで有名です。

・ボルジェルディ邸のバードギール

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また、開口部については風向によって変わります。風を取り込む装置なので、開口部は風向きに向かって設けないと、風が入ってこないので意味がありません。

風向がいつも同じ方向の地域では、その方向にのみ開口部が設けられています。

風向が常に変化する地域では、開口部は4方に設けられています。

砂埃が多いときや寒いときは、シャフトを閉じれるようにしている場合もあります。

地下水路カナート

水への渇望に支配された砂漠の街に水を供給する、人々の営みの源です。

砂漠は非常に乾燥した地域なので、ほとんど雨が降りません。しかし、水がなければ生きていけないので、どうにかして水を確保する必要があります。

恒久的に水を確保するために、砂漠の人々は山の水源から街までトンネルを掘って地下水路を造りました。その地下水路を通じて山の水を引き、街に水の恵みをもたらしています。

カナートの歴史は古く、紀元前1000年にはすでに存在していたとされています。長年の間人々に恵みを与え続け、現在でも使用されています。

街まで引いてきた水は、街全体に張り巡らせた地下水路網で街の各地に分配します。水を使用する際は、井戸を使用します。

水は、街だけでなく畑にも供給されます。降水量を気にせずに年間を通じて食料を生産することが出来ます。まさに恵みの水です。

カナートは当然手掘りです。特に、古代では簡単な道具しか無かったので、カナートを造るのは大変な重労働でした。ときには、水源から街まで長い長い距離を掘らなければなりませんでした。

・手掘りのカナートの内部

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・カナートの断面図

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建設はまず、山の水源を特定するところから始まります。水源を特定すると、垂直に竪穴を掘って水源に到達します。そこから街に向かって斜め下にトンネルを掘っていきます。

緩やかに傾斜したトンネルにすることで、揚力を使わなくても重力だけの力で街まで水をひくことができます。余分な工事とその後のメンテナンスが不要になります。

トンネルを掘る際、傾斜の角度が非常に問題になります。角度が急すぎれば、流れてくる水の勢いでトンネルが侵食されてしまいます。かといって緩やかすぎれば、水に混ざっている砂などが流れずにトンネル内部に溜まってしまい、水の流れをせき止めてしまいます。

急すぎず、緩やかすぎず、上手くバランスをとりながら傾斜がつけられました。傾斜をつける際は、水平器が用いられました。

トンネルの途中にいくつか、メンテナンス用の竪穴を掘ります。

建設は大変ですが、一度建設してしまえば、管理は比較的楽です。水を引くのは重力なので、定期的にトンネル内を掃除するだけで十分でした。

カナートのシステムは東西に伝播し、アジア、ヨーロッパ、北アフリカにもカナートに似たようなものが存在しています。

窓に取り付けられた、木の箱です。箱形の骨組みに、パネルや窓、幾何学的な格子を取り付けたもので、腕木に支えられています。

凝ったものでは、装飾や彫刻が施され、丹念なディテールに仕上げられます。

冷却設備の一つです。幾何学的な格子が日光を遮り、ギラツキを抑え、室内の温度が上がるのを防ぎます。

また、壁から突き出ている分だけより多くの空気を取り入れることが可能です。

空気がよく通って涼しいので、ここで寝ることもあります。

中庭の無い、背の高い建物では特に重要な冷却設備です。

中庭

中庭型住居の歴史はとても長いです。古代エジプトにはすでに存在していました。

世界中に広く見られ、西はモロッコから東はアジアまで広い地域で見られます。

そのため、中庭型住居は地方によりヴァリエーションが豊富です。複数階層を持つもの、平屋、地下に設けられていることもあります。たいていの住居が中庭に向かって開けています。

ヴァリエーションは豊富ですが、中庭が果たしている役割はすべて同じです。室内を快適にするのが役割です。

真昼になって太陽が高く上ると、中庭の床に太陽の光が届きます。

すると、中庭の空気が暖められて、中庭から昇る上昇気流が発生します。これにより室内の空気が移動し、住居内の空気が循環されます。

夕方になって太陽が沈んでくると、中庭には陰が落ちてきます。上昇気流が終わり、空気の循環も終わります。今度は中庭の空気が冷え、その冷えた空気が室内に流れ込んできます。

夜になると、中庭や屋根、壁が日中に吸収した熱を放熱し始めます。中庭に面する開口部を締めることで、夜の冷たい冷気を防いで熱だけを取り込みます。中庭が、冷え込む夜を暖めます。

このように中庭は、昼は室内を涼しく、夜は室内を暖かくします。砂漠のような昼と夜の気温差が極端な地域に適しています。

樹木を生やすことで、中庭はより快適になります。日陰をつくるのはもちろん、光合成で空気をきれいにし、蒸散で気温を下げてくれ、生い茂る葉っぱが熱い空気の侵入を防いでくれます。

さらに、不毛な大地に癒やしをもたらします。水との兼ね合いもありますが、樹木はとても大きな役割を果たしています。

中庭に池を設けたり、濡らしたマットを吊るすことで、空気を冷却して室内をさらに涼しくできます。砂埃を除去することもできます。

 

サハラ砂漠北のハイ・アトラス山脈、ドラア渓谷(Draa)、城塞都市クサール(Ksar)

・世界遺産に登録されたクサール、Aït Benhaddou

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ハイアトラス山脈は、モロッコからアルジェリアまで伸びる巨大な山脈です。

岩だらけで荒涼としていて乾燥した土地ですが、ドラア渓谷だけは、ドラア川が植物を育む肥沃な土地です。

この肥沃な土地にベルベル人が住んでいます。彼らの街はクサール(Ksar)と呼ばれており、何人も拒むような背の高い壁に周囲を囲まれています。

高い壁に囲まれた街の中は、曲がりくねった狭い街路が迷路のように伸びており、街路を取り囲むように日干しレンガの住居が立ち並んでいます。ときには街路が袋小路になっていることもあります。

彼らは、他の部族から度々襲撃を受けてきました。そのため、防御性を高めるためにこのような街が造られました。背の高い壁は何人の侵入を許さず、迷路のような街路は万が一侵入してきた敵の進行を阻みます。

まさに城塞都市です。

鉄壁の防御ですが、重大な欠点があります。

街を囲む壁は、街の範囲を決めてしまうことです。街に空き地がなくなれば、それ以上は建物を増やすことがすることができなくなってしまいます。

そのため、それ以上建物を増やしたい場合は、壁の外側に建てなければなりません。壁の外側はとても危険です。新参者は街の外に住居を建てるしかありませんでした。

ちなみに、ヨーロッパの城塞都市も同じ問題を抱えていました。平和な時代では構わずに壁の外に市場や住居を建てました。

防御性という要素が、世界中の居住地において重要なものの一つであることを教えてくれます。

チュニジア南部、マトマタ山脈(Matmata)、マトマタ・ベルベル人の洞窟住居『ハウシュ(Haush)』

・パノラマビュー、点在している窪みが洞窟住居です。

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・洞窟住居、竪穴の側面に部屋が並んでいます。

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砂漠地帯で、乾燥して乾ききった、赤砂岩と泥灰土の荒れ地に掘った洞窟住居です。

中国にある窰洞の下沈式と構造が似ています。

砂嵐を避け、アラブ人の襲撃を逃れるために地下に造られています。

まず、直径10〜15m、深さ5〜6mの竪穴を地面に掘ります。平面の形は決まっておらず、円形に近いものもあれば、矩形に近いものなど様々です。岩を削って、階段かトンネルを設け、地上と竪穴の底を行き来できるように接続します。

そこを通って竪穴の底まで下ります。

竪穴の側面に部屋を掘ります。大抵、2階建てで、2階は穀物庫として使用されます。掘った部屋の隣にも部屋を掘り、部屋同士をつなぐトンネルも掘り、内部で自由に行き来できるようにします。掘る部屋の数もそれぞれで、画像では3つの部屋が掘られています。

洞窟住居の正面の壁の仕上げ方も様々で、掘ったらかしで何もしない場合や、滑らかにならしたり、日干しレンガを一面に並べたりなど、様々です。画像では日干しレンガで一面を埋めています。

砂漠地帯なので、水を確実に確保するために竪穴の壁沿いに井戸が掘られたり、貯水槽が設けられたりします。竪穴から離れた場所に貯蔵庫や家畜小屋が設けられることもあります。

室内の温度は快適で、太陽が照りつける暑い昼間でも、夜になり砂漠の砂が冷えて寒くなってきても、ほとんど変化せずに一定です。

ベルベル人の洞窟住居が一般的に知られるようになったのは、1969年です。

この年に大豪雨が起き、多くの洞窟住居が浸水し、被害を受けました。これがきっかけで、政府の主導により地上に家が建てられるようになりました。

イエメン、塔状住居

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イエメンの国土は、沿岸部を除く大部分が乾燥した山地です。

塔状住居は、沿岸部を除くほとんどの地域に存在しています。

正方形平面でその名の通り塔のように背の高い住居です。

塔状住居は、南アラビアに特有の建築形式です。部族間の争いが激しい地域だったため、土地で採れる材料を使って効率的に住居を建設するための方法として発展しました。

監視塔の役割を備えつつ、住居として使用する。一石二鳥です。防御性だけでなく、利便性も優れていたため、イエメン全土に広がりました。

拡大家族が住むのに理想的で、家族が増えればそれに応じて新しい階を追加すればそれで済みました。

建材と構造

国の全域に広がっているので、各地で建材や構造が違います。

内陸部では石を、山地や高原では日干しレンガや焼成レンガを使用しました。

地域によっては、低層部は石造り、高層部は泥や日干しレンガ造りということもありました。

地域的な広がりがあるので、建材については各地でヴァリエーションがさまざまです。ただ、構造については共通している部分が多いです。

ほとんどの塔状住居は、3〜4階建てです。高いものでは、8〜9階に達するものもあります。

各層の部屋の配置は、下の階は公的な空間で、上の階に向かうにつれて私的な空間になっていきます。間取りは各住居によって違います。

また、部屋の配置や用途、間取りは都市部か農村かによっても大きく違います。

1階の玄関は、都市部では店になっており、農村では家畜部屋や収穫物等の貯蔵庫になっています。

2階にはメインの居間ディバン(divan)があります。応接間やお祝い事で使用されました。典型的な様式では、中央に絨毯が敷かれ、その周りをクッションが囲んでいます。

3階以上はプライベートな空間で、女性や子供の部屋、台所などがあります。

最上階は家長の空間マフラージ(mafraj)です。家長とその家族の男性が水パイプや噛みタバコでくつろぐ空間です。特別な客をもてなすための場所でもあります。

住居のあちこちに日用品をしまうための窪みが設けられています。

各部屋の床には、絨毯や敷物が敷かれています。

窓には色ガラスがはめ込まれており、淡い光が室内に差し込みます。夜は室内からの光が通りを淡く照らします。換気のために、鎧戸が設けられます。最上階のマフラージの窓が一番大きいです。

装飾

壁面の装飾が非常に豊かです。

各階の境を示すように、屋根の縁や床に沿って、帯状に漆喰で白く装飾されていたり。

窓や扉のアーチ型を強調するように、周りを漆喰で白く縁取りしたり。

外壁の至るところが幾何学模様で派手に装飾されていたり。

住居の外壁材も装飾的に用いられたり。

外壁に並ぶ鎧戸つきの窓の上に、半円形の窓があり、幾何学模様の形の枠で覆われています。

このように、壁面は装飾に溢れています。

室内の壁や天井の梁は、漆喰で白く仕上げられ、開口部は精緻な彫刻が施されています。

イスラム教徒は宗教上の理由から、人物や動物の表現を避けて抽象的な紋様を使用します。

イラク南部、メソポタミア湿地、マーシュアラブ(Marsh Arab)

イラク南部の、ティグリス川とユーフラテス川の合流地点に、広大な湿地が広がっています。

・地図の紫の部分、かなり広い地域に広がっています

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獏とした砂の世界に広がる、青と緑の世界です。

約36000平方キロメートルもの広大な湿地帯の一面に、カッサブ(qasab)と呼ばれる草丈が6m以上にもなる大きな葦が生い茂っています。

この広大な湿地帯に住むマアダン(Ma'dan)人が、この生い茂る葦で生活しています。

彼らは、沼地(Marsh)に住むアラブ人という意味の、マーシュアラブ(Marsh Arab)と呼ばれています。広大な湿地に散らばって住んでいます。

マーシュアラブの人々は、葦だけを使って住居を造ります。広大な湿地なので、各地で住居の様式は若干違います。

・葦だけの住居

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住居を建てる前に

住居は、島の上もしくは水辺に建てられます。もしも自然の島が無いときは、一から人工の島を造ります。

人工の島を造る場合、まず最初に、敷地となる場所に背の高い葦を差し込んで柵を造ります。この柵の中に、大量の葦やイグサ、泥をカヌー(mashaf)で大量に運んできます。

運んできた大量の葦とイグサ、泥を積み重ねていきます。水が溢れてこない状態かつ、しっかりした地盤になるまで積み重ねます。

こうして、葦と泥でしっかり造った人工の島をディビン(dibin)と呼び、葦だけで造った簡単な人工の島をキバシャ(kibasha)と呼びます。

葦のみの住居

マーシュアラブの人々は、葦の島に住み、葦だけで住居を造ります。これだけでも驚くべきことですが、彼らは住居を造る技術を絶やすことなく、何千年もの間受け継いできました。現在でも、住居は昔ながらの技術を用いて建てられています。

葦は単体だと弱くて構造材には使えないので、葦をいくつも束ねて強度を増して使います。

数mもの長さがある太い葦束を、数本から十数本造ります。葦の束は、長さの異なる葦を束ねることで、先が細くなっていくようにします。

束ねた葦を、地面にしっかり差し込んで固定し、安定させます。反対側にも同じように、葦の束を地面に差し込みます。2本の葦の束の先端を結び合わせ、アーチ状にします。

このアーチを3〜4つ、一直線上に1.5〜2m間隔で平行に造っていきます。

アーチを造り終えると、馬蹄形のアーチが連なって人間の肋骨のような骨組みが出来上がります。

一般的な住居は、高さ3m、幅2m、奥行き6mほどの大きさです。

骨組みが完成すると、次は外壁を造っていきます。

この葦の住居は、住居自体がアーチ型なので、屋根はありません。外壁と屋根が兼用となっています。

細めの葦の束を、50cmほどの間隔をあけて地面と水平に渡し、アーチをつないでいきます。

両端の妻面に、2〜4本の葦の束を垂直に取り付けます。それぞれの束の長さは、取り付けたときに少しだけ屋根から飛び出る長さにします。

葦で編んだマットで、屋根と壁、妻面を覆い、葦で結んで固定します。妻面を覆うマットは、出入り口のために一部分だけ開放しておきます。

通気を確保するため、側面を覆うマットは少しだけ目を荒めに、上部は密に編んだマットで覆います。

床には、マットを敷きます。座式生活です。

これで、すべて葦で造られた住居の完成です。

メッカの方向を向いた、凝った造りの戸口や、プライバシー確保のための目隠しが取り付けられることもあります。

また、12個のアーチから成る、高さ6m、奥行き18mの巨大な葦の住居ムディーフ(mudhif)が集落内に建設されます。かつては族長の家でしたが、現在はゲストハウスとして使用されています。

・ムディーフの室内

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葦で造るのは住居だけではありません。家畜小屋や作業場など、生活に必要な施設もすべて葦で造ります。

ちなみ、火事対策のため、カマドは家の外に設置されています。

沼地ということで、葦は常に湿気にさらされています。なので、葦は腐ってしまいます。特に、建物の底が腐りやすく、建設から7〜10年で腐ります。腐った場合、腐った部分を切り取ります。切った分だけ建物は低くなりますが、さらに数年間使用できるようになります。

マーシュアラブの人々は、水牛を世話して、作物を育て、葦のマットを売って生活しています。

沼地の集落は問題だらけです。下水道をはじめとする衛生設備が無いので、水が汚染されています。季節的な洪水で浸水し、被害を受けます。生活していくにはかなり不便です。

マーシュアラブの人々の危機的状況

古代から歴史を守り続けてきたマーシュアラブの人々ですが、かなり悲惨な目にあっています。しかも、政府によって。

それは1950年代から始まりました。湿地が農業と石油採掘のために埋め立てられ始めたのです。

埋め立ては、サダム・フセインの独裁時代に加速しました。

湿地の大部分が埋め立てられ、フセイン政権が崩壊した2003年には、もとの大きさの10%しか残っていませんでした。実に沼地の90%が失われました。

1950年代には50万人ほどが暮らしていましたが、多くの人が避難し、2003年には2万人ほどにまで減少していました。

フセイン政権が倒れた後は、国際社会の強力もあって、湿地はもとの大きさに回復しつつあります。

・2000年の時点の湿地(上の画像)と2009年の時点の湿地(下の画像)

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参考にした本

参考にした本を紹介しておきます。ここで紹介した住居以外にも、世界中の伝統的な住まい・ヴァナキュラー建築が解説してあります。

伝統的な住まいに興味を持った人は、読んでみてください。値が張るのが多いですが・・・