こんにちは。YoFuです。
今回は、『世界地図の歴史 番外編 月の地図の歴史』をお送りします。
世界地図の歴史の第1回『古代編』はこちら、第2回『中世編』はこちら、第3回『大航海時代以降編』はこちら。
- まえがき
- 古代から望遠鏡の誕生まで
- ガリレオ・ガリレイ:1610年
- ミヒャエル・ヴァン・ラングレン:1645年
- ヨハネス・ヘベリウス:1647年
- ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチョーリ:1651年
- リヒャルド・アンドリー:1881年
- ソビエト連邦、ルナ3号:1959年
- NASA、アポロ8号:1968年
- NASA、アポロ11号:1969年
- あとがき
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まえがき
月面の地図が作られ始めたのは17世紀初頭からです。
17世紀初頭に望遠鏡が開発され、肉眼では見えなかった月が観察できるようになったために月面の地図が作られるようになりました。
それまでも月の姿を描いたものはありましたが、空想の姿を描いただけでした。望遠鏡が開発されてからは、空想ではなくて現実の姿を描いたものとなりました。
月面の地図の歴史は天文学者として有名なガリレオ・ガリレイから始まります。
始まった当初からある程度の精密さがありました。世界地図とは大きな違いです。
月面は人の足で探索することは出来ず、探索道具は望遠鏡一本だけだったので、望遠鏡の発展に比例して月面の地図は精密になっていきました。
その後、1969年アポロ11号が人類で初めて月に到達しました。
月面の地図が作られ始めてから、わずか350年ほどの期間です。
古代から望遠鏡の誕生まで
古代の人々も月を描きました。
しかし、古代では観測技術は未発達だったので、月の姿を想像して書いていました。
アリストテレスは、月は半透明で完全な球体と考えていました。
ダンテも、完全な球体として考えていました。
月のウサギが誕生したのも、月の姿を想像したからです。
ガリレオ・ガリレイ:1610年
ガリレオは望遠鏡で月を観察した最初の人ではなく、先駆者たちの一人です。
ガリレオは望遠鏡を使って隅々まで月を観察し、月はそれまで考えられていたような完全な球体ではなく、山やクレーターがあり、凹凸が激しくてデコボコしていることを発見しました。
観察の結果をとても詳細なスケッチとして出版しました。上の画像がそのスケッチです。
月のクレーターや山などの凹凸がとても精密に描かれています。
ガリレオは月以外にも宇宙を広く観察し、木星の衛星を発見するなどの天文学を大幅に発展させました。
ミヒャエル・ヴァン・ラングレン:1645年
File:Langrenus map of the Moon 1645.jpg - Wikipedia
ガリレオの時代から数十年が経ち望遠鏡が発達すると、より細かい部分まで観察できるようになりました。月面の地図を作ることができるほどです。
ガリレオのスケッチと比べると、その詳細さがかなり増していることが分かります。ガリレオがぼやっと書いた海やクレーターの形や大きさがハッキリと描かれています。
ラングレンは月面の地図製作の先駆者です。
世界で初めて、地名を付けた月の地図を出版しました。
カトリックだったため、月の地名の多くはカトリック的な名前をラテン語で付けました。
ちなみに、『ラングレヌスクレーター』という、ラングレンにちなんだ名前のクレーターがあります。
ヨハネス・ヘベリウス:1647年
ヘベリウスがラングレンに対抗して出版した月面地図です。
なので、ラングレンの命名は完全に無視しました。カトリック的な名前ではなく、地球上にある地名にちなんで命名しました。
悲しいことに、カトリック全盛の時代ではあまり顧みられませんでした。
ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチョーリ:1651年
リッチョーリの出版した『新アルマゲスト』の中の月面の地図です。
今までよりも詳細に月面を描き、地形に名付けました。名付けは科学者の名前にちなんでいます。
『新アルマゲスト』は天文学の教科書として採用され、ヨーロッパ中で天文学の勉強に使われました。
リッチョーリの命名した地形の中には、現代も使われているもがあります。
人類で初めて月に到達したアポロ11号が降り立った『tranquillitātis』(日本語:静かの海)は、リッチョーリの命名した地名です。
リヒャルド・アンドリー:1881年
ドイツの地図製作者リヒャルド・アンドリーによる月面の地図です。
今までの月面の地図と比べると、飛躍的に詳細になっています。
望遠鏡が発達し、月面の隅々まで見ることができるようになっていました。
この後は、ただただ精密になっていくだけです。
ソビエト連邦、ルナ3号:1959年
人類が初めて撮影した月の裏側。
ソ連が飛ばした無人探査機ルナ3号が人類史上初めて月の裏側を撮影することに成功しました。
素晴らしい偉業ですが、これにより月がまとっていた神秘のヴェールがすべて剥ぎ取られることになりました。
NASA、アポロ8号:1968年
1968年人類で初めて、人を乗せたまま月を周回したアポロ8号が撮影した月の写真。
人類の月への到達に一歩近づいた場面です。
NASA、アポロ11号:1969年
人類が初めて月に着陸した場面です。
アポロ11号がこの偉業を成し遂げました。
その後、1970年代後半までソ連とアメリカが競うように月へ探査機を送り込み、有人と無人を合わせて65回も月面着陸が行われました。
しかし、予算の都合でアポロ計画は1972年、ルナ計画は1976年を最後に月への探査は終了しました。
アポロ計画が月に人を送ったのは6回。ルナ計画は0回です。
あとがき
古代から、月は人々の関心を引いてきました。
月食という恐るべき天文現象として。
魔女、狼男など、人々を惑わすものとして。
現代では月の裏側までも観察されて、神秘のヴェールは剥ぎ取られてしまいました。
それでもなお、私達をひきつけて離しません。
月は世界中のどこからでも見えるものです。旅先で疲れた体を不思議な力でいやしてくれるかもしれません。