こんにちは。YoFuです。
今回は、みんな大好き『世界地図の歴史 古代編』をお送りします。
世界地図の歴史を3回に分けて解説していきます。今回は第1回目『古代編』です。
第2回『中世編』はこちら。第3回『大航海時代以降編』はこちら。
番外編の『月の地図の歴史』はこちら、『海図の歴史』はこちら、『天文図の歴史』はこちら。
皆さんは地図は好きですか??
私は大好きです。旅するときはひたすらひたすら地図を眺めています(笑)
どこへ行こうか。どの道を通っていこうか。この道は通れるのかな。そんなことを考えながら地図を眺めていると、時間がアッという間に過ぎていきます。地図を眺めているだけで半日過ぎていたこともあります(笑)
地図は眺めているだけで楽しいものです。今回お送りするのは、そんな世界地図の歴史です。
みなさんも地図の虜になってくれればとても嬉しいです。地図はとっても楽しいですよ。
まえおき
世界地図は旅する時の指針です。旅人に必須アイテムと言えるでしょう。
世界地図の歴史は古く、旧石器時代にまで遡ることが出来ます。もちろん、その頃の世界地図は、現代のものとは比べ物にならないくらい大雑把なものでした。
しかしなぜか、それがとても魅力的なのです。
そもそも、世界地図とは知られている全世界を絵によって模倣することです。
これは、古代ギリシアの天文学者プトレマイオスの言葉ですが、この言葉の通り、昔の世界地図からは当時の人たちの住んでいた世界と世界観を読み取ることができます。
これがとても魅力的なのです。どうしようもなく、地図に引き込まれてしまうのです。
昔の人たちの世界観に思いを馳せてみてください。想像してみてください。
あなたもきっと、世界地図の虜になるはずです。
そんなわけで今回は、世界地図の歴史をお送りします。
古代の地図
地図の歴史はとても古く、旧石器時代にまで遡ることが出来ます。
当時は紙やインクなどはなかったので、岩がキャンパスの鋭い石がインクの代わりでした。原始的な方法だったが故に、当時の人たちが描いた地図はハッキリと現代まで残っています。
とても大雑把なものですが、当時の人たちの地図に対する思いが込められています。
地図とは、知られている世界を絵によって模倣したものです。その当時の人々が生活していた身近な空間と、知っている世界と想像の世界とを描かれています。
地図からは、当時の人達の世界観を読み取ることが出来ます。
べドリーナのペトログリフ
紀元前1500年頃・製作者不明・2.3m×4.6m
『ペトログリフ』とは、岩絵のことです。
古代の人々が自らの生活の足跡や文化など様々なものを岩に刻み込んだものです。ラスコーやアルタミラにある岩絵が有名です。
岩絵自体の歴史はとても古く、旧石器時代にまで遡ることが出来ます。
当時の人たちは、身の回りの様々なものを描きました。描かれたものの中の一つに、地図があります。
当時の人たちが住んでいた場所の周辺を描いただけだと思われますが、かなり精密に描かれており、当時の人たちが生活していた環境がよくわかります。
画像の岩絵地図は、イタリアのヴァルカモニカにあるべドリーナで発見された地図です。
四角で囲まれた点は畑を表しており、道路がそれぞれの施設をつないでいます。人々の営みの姿や家屋も描かれています。
これ以外にも、世界全体で数多くの地図のペトログリフが見つかっています。
バビロニアの世界地図
紀元前750年〜500年頃・製作者不明・12cm×8cm
世界で最も古い世界地図と言われています。古代バビロニアの神話に基づく世界観が表現されています。
粘土板に描かれたもので、一部分が崩れてしまっています。それでも、古代バビロニアの世界観は十分に読み取れます。
上部には古代バビロニアの神話が楔形文字で書かれており、その神話を実際の地理に当てはめたのがこの世界地図です。
古代バビロニアでは、世界は平たい円形だと考えられていました。古代都市バビロンとその周辺の都市や自然が円形の海に囲われています。
円形の海がバビロニア世界の内側と外側を分ける役割をしています。
バビロニアから遠ざかるほどバビロニアの力が失われると考えられており、円の外側(海の外側)の三角形の地域は野蛮な土地だとして描かれています。
バビロンを貫いている縦長の長方形はユーフラテス川です。
中央の丸い穴は円を書くためにコンパスを突き刺したときの穴です。
ges periodos(地球の巡る旅)
紀元前6世紀〜5世紀頃・ギリシアの地理学者ヘカタイオス
現存及び複製が存在していないので、資料に基づく再現図です。
当時のギリシアの地理学に基づいて描かれました。当時のギリシア地理学の集大成です。
古代バビロニア文明と同じく、世界は平たい円形で周りは海に囲まれていると考えられていました。
当時はまだヨーロッパとアフリカ、アジアしか知られていなかったので、世界はこの3つの大陸から構成されています。その3つの大陸を海が囲っています。
ギリシア周辺は地理学の知識が豊富だったようで、地中海沿岸はかなり精密に描かれています。
一方、ギリシアから遠くなるにつれて地理学の知識が薄くなっていったようです。ギリシアから遠ざかるほどに大雑把に描かれています。アラビア半島は大陸と陸続きに、インドがアジアの端として、ヨーロッパの上の方はのっぺりと書かれています。
ちなみに、アフリカはLIBYAと呼ばれていました。
プトレマイオスの世界地図
150年頃・プトレマイオス・57cm×83cm
プトレマイオスが紀元150年頃に出版したゲオグラフィア(地理学)の中に描かれた世界地図です。
当時のギリシア地理学の粋を集めた、集大成的な地図です。
ヘカタイオスの時代と同じように、ギリシア周辺にある地中海の周辺はかなり精密に描かれていますが、遠ざかるほどに大雑把になっていきます。
ただ、アラビア半島が独立した半島として描かれていたり、アジアの端がインドよりも東へ伸びていたり、ヘカタイオスの時代よりは精密さが増しています。
プトレマイオスの地図は、とても画期的なものだとして後世に多大な影響を与えました。
プトレマイオスの地図が画期的だった理由は、世界を平たい円形ではなく、球体として描いたことです。
プトレマイオスの時代よりも遡ること紀元前3世紀頃、エラトステネスが地球の円周を計算するという偉業を達成していました。つまり、当時のギリシアではすでに地球は球体であると知られていました。
球体である地球を地図に描くために、プトレマイオスは平面に球体を描く技法『第2投影法』を開発し、後世の地図製作者に多大な影響を与えました。
ちなみに、赤い光線を出している絵は星座です。
ポイティンガー図
300年頃・製作者不明・30cm×6.75m
地図はコチラ↓↓サイズが大きすぎるので、貼りませんでした(笑)
File:TabulaPeutingeriana.jpg - Wikimedia Commons
古代ローマ帝国が作成した、古代ローマ帝国を中心とした、古代ローマ帝国のための地図。
古代ローマ帝国の偉大さをそのまま描いたかのようで、古代ローマ帝国の集大成的な地図です。
描写もとんでもなく素晴らしいのですが、地図のサイズもとんでもないです。なんと、横の長さが6.75mもあり、とてつもなく長いのです。
横のとてつもない長さに比べて、縦の長さは30cmしかありません。東西にかなり引き伸ばされています。
地図の中心に女神の姿で描かれているのが、ローマです。
ローマを中心に、帝国の領中にある都市や街、宿、駅、交易所などの施設が描かれ、各施設が赤い線で繋がれ、各施設間の距離が正確に表記されています。そして、すべての赤い線はローマへと繋がっています。
赤い線が表しているのはローマの道路です。ローマ帝国がいかに偉大で巨大で広大な領土を支配していたのかが見てわかりますね。
『すべての道はローマに通ず』という格言をそのまま表したような地図です。
距離を表すために使われた地図なので、横幅が極端に長い歪な形になったのかもしれません。
ちなみに、現存しておらず、1200年ころに複製されたものしか残っていません。ポイティンガーという人が複製したので、ポイティンガー図と呼ばれています。
次回予告
次回は中世編です。
古代という、地理学の未発達の時代でさえこんなにも素晴らしい世界地図を制作しているのです。
古代よりも技術が進歩している中世。
中世ではどんなに素晴らしい世界地図があるのでしょう。
第3回大航海時代以降編はこちら。