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世界地図の歴史 番外編 天文図の歴史

こんにちは。YoFuです。

今回は『世界地図の歴史 番外編 天文図の歴史』をお送りします。

世界地図の歴史の第1回『古代編』はこちら、第2回『中世編』はこちら、第3回『大航海時代以降編』はこちら

番外編の『月の地図の歴史』はこちら、『海図の歴史』はこちら

 

まえがき

天文学の歴史は古く、古代の文明の多くが星を観測していました。

星の動きや変化が、地上で起こる自然現象を告げると考えていたからです。

アルマゲスト

150年頃、プトレマイオス

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古代天文学の権威で、後世に多大な影響を与えました。プトレマイオスの描いた48個の星座は現在でも使われているほどです。

プトレマイオスの書いた『アルマゲスト』は何ヶ国語にも翻訳されて世界中に広がり、世界の天文学の基礎となりました。

画像はプトレマイオスの唱えた天動説を後世の人が絵で表したものです。黄道十二星座が太陽の周りに描かれています。

敦煌の天文図

7世紀後半、李淳風

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中国は天文学がかなり発達した文明でした。敦煌で発見された天文図は、当時の中国の天文学の集大成です。知識を集めた天文図は、長さ4mにも及んでいます。

北半球から見える星空全体を描いています。当時の中国から見えたと思われる、約1339個の星が257の星座に分類されています。

完全な形で残っている最古の天文図ですが、天文図自体はこれより700年以上も前に描かれていたことが分かっています。

星座

10世紀、アル・スーフィ

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イスラームでも天文学は大幅に発展しました。

イスラームでは、お祈りのためにメッカの方向を正確に知る必要がありました。方角を知るために星を利用しました。そのため、イスラームで天文学が発達しました。

アル・スーフィは1000個以上もの星を観測し、記しました。アル・スーフィの書いた『星座』は後のイスラーム天文学の基礎となっただけでなく、ラテン語やイタリア語に翻訳されてヨーロッパ天文学にも影響を与えました。

画像は、アル・スーフィが記した数ある星座の中の一ついて座です。今にも動き出しそうなほど、実にイキイキと鮮やかに描かれています。

天体アトラス

1660年、アンドレアス・ケラリウス

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大航海時代にヨーロッパにもたらされた南天の星座も描かれています。

北天と南天の星座が天球の形で描かれています。一枚目が北天で、二枚目が南天です。

色彩と想像力が豊かで、芸術作品としても素晴らしい天文図です。

 

あとがき

その後、世界の各地で空が観測されるようになり、アマチュアから天文学者からドンドン星座が発表されていきました。

乱立によって混乱していた星座ですが、1922年に国際天文学連合によって現代の88星座が制定されます。その後、星座は発表されることがなくなりました。

天文図は空想を形にしたものです。現実の風景は一切ないので、どれだけ空想豊かに描けるかが全てです。

今回紹介した天文図は、数ある天文図の中でもとりわけ空想豊かなものです。

ぜひみなさんも、旅したときにふと夜空を見上げて空想してみてください。

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