こんにちは。YoFuです。
今回は、みんな大好き『世界地図の歴史 大航海時代以降編』をお送りします。
世界地図の歴史を3回に分けて解説していきます。今回は第3回目『大航海時代以降編』です。
番外編の『月の地図の歴史』はこちら、『海図の歴史』はこちら、『天文図の歴史』はこちら。
皆さんは地図は好きですか??
私は大好きです。旅するときはひたすらひたすら地図を眺めています(笑)
どこへ行こうか。どの道を通っていこうか。この道は通れるのかな。そんなことを考えながら地図を眺めていると、時間がアッという間に過ぎていきます。地図を眺めているだけで半日過ぎていたこともあります(笑)
地図は眺めているだけで楽しいものです。今回お送りするのは、そんな世界地図の歴史です。
みなさんも地図の虜になってくれればとても嬉しいです。地図はとっても楽しいですよ。
まえおき
世界地図は旅する時の指針です。旅人に必須アイテムと言えるでしょう。
世界地図の歴史は古く、旧石器時代にまで遡ることが出来ます。もちろん、その頃の世界地図は、現代のものとは比べ物にならないくらい大雑把なものでした。
しかしなぜか、それがとても魅力的なのです。
そもそも、世界地図とは知られている全世界を絵によって模倣することです。
これは、古代ギリシアの天文学者プトレマイオスの言葉ですが、この言葉の通り、昔の世界地図からは当時の人たちの住んでいた世界と世界観を読み取ることができます。
これがとても魅力的なのです。どうしようもなく、地図に引き込まれてしまうのです。
昔の人たちの世界観に思いを馳せてみてください。想像してみてください。
あなたもきっと、世界地図の虜になるはずです。
そんなわけで今回は、世界地図の歴史をお送りします。
大航海時代以降
大航海時代に入ると、世界地図は大幅に発展します。今までの停滞が嘘のようなスピードで発展しました。
1488年のポルトガルによるヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰到達。
1492年のスペインのコロンブスによる新大陸発見。
1522年のマゼランによる船での世界一周。
1606年のオランダによるオーストラリア大陸発見。
何世紀もの間未開であった世界が、あっという間に明らかになっていきました。
新大陸の探索と世界中の航海によって世界が明らかになると、その分地図が精密になっていきました。
ただ、オーストラリア大陸の発見以降、大きな変化は起こらず、ただただ精密になっていくだけで面白みがなくなります。なので、この記事ではオーストラリア大陸の発見以降の世界地図は省略します。
ファン・デ・ラ・コーサ図
1500年・ファン・デ・ラ・コーサ・96cm×1.83m
アメリカ大陸が描かれた最初期の地図です。
中世の地図のメインだった聖書的な要素はほとんどありません。想像上の生き物や伝説が若干描かれている程度です。
コロンブスの新大陸到達という歴史的偉業を記録として残すためにつくられた地図なので、地図の精密さよりも、新大陸の発見がいかに偉大に見せるかが重視されています。
そのため、新大陸であるアメリカ大陸が緑色に塗られて魅惑的に表現されています。
ヴァルトゼーミュラー地図
1507年・マルティン・ヴァルトゼーミュラー・1.28m×2.33m
『アメリカの出生証明書』とされる地図です。
アメリカを大陸として描き、そしてアメリカという名前を付けた世界で最初の地図。
正式名称は『プトレマイオスの慣例にならいアメリゴ・ヴェスプッチ等の探検を組み入れた世界地図』と言います。その名の通り、プトレマイオスからの伝統的な地理学と大航海時代に入ってからもたらされた情報とをまとめ上げた集大成です。
オーストラリア大陸は未発見なので、まだ描かれていません。また、アメリカや極東アジアは探索しきっていなかったので、描写が曖昧です。
南北アメリカ大陸はかなり小さく歪んでおり、極東アジアでは島々がありえないほど巨大に描かれ、存在しない島々も描かれています。
プトレマイオスの地図のように第二投影法の利用し、経度と緯度を正確に記しています。中世では無視されていたプトレマイオスの偉業がやっと姿を表しました。
中世の頃の地図と比べると、飛躍的に精密さを増しています。
より詳細な地図はコチラ
File:Waldseemuller map.jpg - Wikimedia Commons
ピーリー・レイースの地図
1513年・ピーリー・レイース・90cm×63cm
オスマン・トルコの軍人ピーリー・レイースによって描かれた地図です。当時のオスマン帝国が知り得た全世界が描かれています。
現存しているのは地図の西側1/3程度しかなく、残りの大部分は失われてしまっています。複製も残っていないので、全貌は想像するしかありません。しかし、残っている部分だけでも素晴らしい地図ということが分かります。残りの失われた部分もとても素晴らしい地図であったに違いありません。
大航海時代が残した地図の中で最も美しく、興味深く、謎めいている。byグレゴリー・c・マッキントッシュ
左側は南アメリカ大陸東側、右側はアフリカ大陸西側です。
発見から間もないアメリカ大陸の海岸線があまりにも精密に描かれて過ぎているうえ、大航海時代の主役だったヨーロッパ諸国ではなくてオスマン帝国が描いたということのでオーパーツ説があります(笑)
メルカトルの世界地図
1569年・ゲラルドゥス・メルカトル・1.24m×2.02m
歴史上で最も偉大な地図製作者メルカトルの作った地図です。
現在もメルカトル図法としてその名が残っているほど偉大な地図製作者です。
メルカトル図法とは、地球の円周をすべて赤道の長さに統一して見やすくしたものです。
地球は球体なので、赤道から北極と南極方面に向かって円周は短くなっていきます。そのまま地図にすると歪で見にくくなります。短くなっていく円周を引き伸ばし、赤道の長さに統一することで、見やすい地図を作り出しました。これがメルカトル図法です。
円周を引き伸ばしているので、赤道から北極と南極方面に向かって、面積が拡大されています。北極と南極付近はとんでもなく引き伸ばされています。
左が実際の面積で、右がメルカトル図法の面積です。実際の面積とはこんなにも違います。
この地図はゲラルドゥス・メルカトルの息子ルモルド・メルカトルが作成したもの。
ルモルドは、父ゲラルドゥスが未完成のまま残したプロジェクトをいくつか完成させた。
ちなみに、メルカトル図法を最初に作ったのはメルカトルではありません。メルカトルは広めただけです。
新世界全図
1664年・ヨアン・ブラウ・2.43m×3m
オーストラリア大陸が発見された後に描かれた地図です。
未発見の残りの大陸は南極大陸のみです。
世界中の探検はドンドンドンドン進んでおり、アメリカ大陸やオーストラリア大陸の沿岸部は未完成ながらもかなり詳細に描かれています。
地球が2つに分かれて描かれているのは『双半球投影法』という技法です。アジア・ヨーロッパ・アフリカから成る旧世界と南北アメリカから成る新世界を分けて描く方法です。
地動説を採用した初めての世界地図の一つです。
枠の上部に書かれているのは、天体を擬人化したものです。中心に太陽が据えられ、地球を含めた惑星が周りを周っているように描かれています。
地球
1968年・アポロ8号
人類で初めて月を周回したアポロ8号が撮影した地球です。
翌年の1969年にはアポロ11号が人類で初めて月に降り立ちました。
人類は地上の隅々まで見渡すことができるようになりました。まるで、神様のようです。
あとがき
いかがだったでしょうか。
地図に取り憑かれたでしょうか。
地図ってほんとうに面白いものですよね。
見ているだけで時間がアッという間です
ぜひ皆さんも地図に取り憑かれてください(笑)