YoFu’s Taravel Blog

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世界の伝統的な住まい・ヴァナキュラー建築 地中海周辺のヨーロッパ側編

こんにちは。YoFuです。

今回は、『世界の伝統的な住まい・ヴァナキュラー建築 地中海周辺のヨーロッパ側』です。

サンサンと照りつける太陽のもとで、白く美しく彩られた住まいがキラリと光る。

オリーブ、ぶどう、柑橘系の果物の木々が、吹き抜ける風でそよぐ。

地中海のイメージといえば、カラリとした夏ではないでしょうか。

地中海には、イメージ通りの風景が広がっています。

絵画そのもののような風景をぜひ楽しんでください。

 

まえがき、地中海地域について

地中海は、プレートがぶつかり合って出来た海です。

そのため、火山が数多く点在しています。火山の中には、今でも活動を続けているものもあります。よって、地震が頻発しています。

この地域の気候は、その名の通り地中海性気候です。夏は乾燥して太陽が照りつけます。冬には雨が降りますが、気温は穏やかで過ごしやすいです。

冬には雨が降るので、木は生えます。しかし、小雨であるため、大きくは成長しません。せいぜい、高さ15m程度までです。

また、乾燥に強い木々しか生えません。そのために、乾燥に強いオリーブやぶどう、柑橘の生産が盛んです。

石灰岩が露出している場所では、土が少ないために農業には向きません。牧畜が行われています。

石灰岩が非常に豊富で、アチコチで建材として使用されるほど潤沢に採れます。土壌は石灰岩のおかげで中性になり、水はけがよくなり、ぶどうの栽培に適した土になります。地中海のワインは石灰岩の恵みです。

住まいは石灰岩を利用するものが多いです。地中海地域に数多くある洞窟住居は、手掘りでも簡単に掘れてしまうほど掘りやすい石灰岩だからこそ。ギリシャのキクラデス諸島やスペインのアンダルシア地方の白く塗られている住まいは、石灰岩から造った白い石灰が塗られています。

この地域では、石灰岩を用いた建築が多いですが、石造り建築物は決して普遍的なものではありません。石が簡単に手に入る場所でも、必ずしも使用されてるわけではありません。

石灰岩はたまたま、とても加工しやすい岩だったので多用されていますが、種類によっては加工が難しく、風化しやすく、とても扱いにくいです。

ただし、石を加工する道具と技術、時間があれば、他の素材とは比べ物にならないほどはるかに耐久性の高い建造物を造ることが出来ます。

ヴァナキュラー建築らしく、地元で採れる建材を最大限に生かして、環境に対処できる住まいを建てています。どうしても、その美しさに目がいってしまいがちですが。

白い住まいの美しさは、とてもヴァナキュラー建築とは思えません。一種の美術品のようです。

ぜひ一度訪れてみてください。

イタリア、マテーラ、サッシ

・マテーラの風景、所狭しと家々が並んでいます。頂上にあるのは、洞窟の教会です。

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・マテーラの夜景

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マテーラとは、イタリアの街の名前です。

サッシとは、ラテン語で岩や石を意味するsaxumからきています。マテーラにおいては洞窟住居を意味します。

マテーラ全域に洞窟住居があるわけではなく、街の中に洞窟住居が集まっている地区が2つあります。カヴェオーソ地区(Sasso Caveoso)と、バリサーノ地区(Sasso Barisano)です。

マテーラの歴史はとても古く、先史時代にはすでに洞窟に人が住んでいました。そして、現在までその伝統が続いています。

マテーラは、グラヴィナ渓谷に位置しています。グラヴィナ渓谷は、石灰岩の一種であるトゥファの地層から成っています。雨水で侵食された天然の洞窟があり、古代の人々は天然の洞窟を住居として使っていました。

トウファは比較的柔らかくて削りやすかったため、そのうちに人々は自分で洞窟を掘って住居を造るようになりました。

数千年に渡って家が掘られてきたため、洞窟住居は隅々まで所狭しと並んでいます。

マテーラの洞窟住居の特徴

マテーラの洞窟住居のタイプは大きく分けて2種類あります。

構造のすべてが洞窟である、完全な洞窟タイプ。

洞窟の前面に家を建てた、半分洞窟、半分屋外のタイプ。

ちなみに、洞窟を使っていない普通の住居も建てられています。

マテーラは長い歴史の中で、隅々まで所狭しと住居が掘られてきたので、上下左右の建物が自然とつながったり、無秩序につながったりしています。

もちろん、計画的につながれる場合もあります。

既存の洞窟住居の上に新しい部屋を掘って、上下につなげたり、隣に新しい部屋を掘って、水平に連結したり。

新たに住居を掘る場合、地形に合わせて掘ることになるので、必ずしもキレイに真っ直ぐつながるとは限りませんでした。曲がった形でつながれることもありました。

また、街全体に効率的で優れた水利システムが敷かれており、街中に水路が張り巡らせてあります。家には貯水槽が設けられることもあり、多いところだと、7つの貯水槽を持っている家もありました。小さな広場には井戸が掘られることが多く、住民に水が供給されていました。広場は人々の社交場としても役立っていました。

ちなみに、教会や修道院なども洞窟です。

現在のマテーラ

長い歴史を持つマテーラですが、半世紀ほど前に一旦途切れます。

1950年代に環境が悪化したため、政府によって集落全体が封鎖させられ、2万人の住民は近隣に引っ越しをさせられました。

その後、政府は莫大なお金を投じて再生計画をスタートさせ、1986年に再生が完了しました。住民が戻ってきて、かつての賑わいも戻ってきました。

1993年には、世界遺産に登録されました。現在は有名な観光地として栄えています。

 

イタリア南東部プッリャ州、バーリ県、石の住居トゥルッリ(trulli)

・アルベロベッロの街並み

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プッリャ州は、アプリア(Apulia)、プーリアとも呼ばれます。石灰岩がゴロゴロころがっている地域です。

この地方にある石灰岩の高原の一つ、ムルジェ高原(murge)に数多く存在しています。

ムルジェ高原の南部、イトリア渓谷にアルベロベッロ(Alberobello)という村があります。この村はトゥルッリが立ち並ぶ村として有名です。

トゥルッリとは、真っ白な壁に灰色の円錐形ドームが載っている、すべて石灰岩で造られた住居のことです。白い塗料も石灰岩です。

しかも、モルタルを使用せずに下から上まで積まれています。

モルタルは石灰岩から造ることができるのに、なぜか使われませんでした。今は使われていますが。

これは、昔は建物の数に応じて地主は課税されていたため、徴税人が来たらスグに解体出来、帰ったらスグに復元が出来るようにするためだと言われています。

ちなみに、アルベロベッロ以外の村、街、農場にも、トゥルッリはあります。

トゥルッリができたのは、石灰岩の層が直ぐ側にあってそのへんにゴロゴロ転がっていたために、材料の調達が容易だったからです。

トゥルッリの作り方

基礎は造らず、地面の上に直接建てます。

まず、敷地となる場所の地下の岩を掘り、地下室を造ります。地下室は、貯蔵庫や貯水槽として利用します。貯水槽には、雨水が雨樋やアーチの間の谷を通って地下の貯水槽に流れ落ちる仕組みです。

その上に床を張り、壁を設け、ドームを架けます。

大きな石灰岩を積んで壁を造ります。1辺が3mほどの正方形平面で、高さは2mほどです。内壁と外壁の2重にし、間に粗石を詰め込みます。

こうして、壁はとても分厚くします。分厚い壁は、外の環境を遮断してくれます。夏は太陽の熱を遮り、冬は雪と風の冷たさを遮ります。

分厚い壁の上にドームを架けます。支えるための骨組みもモルタルも使いません。平たい石を円錐形に下から重ねていくだけです。

石灰岩から、キアンケまたはキアンカレーレと呼ばれる薄い板(長さ約6cm、幅約4cm,厚さ約3cm)を切り出し、少しずつ内側にずらしながら積み重ねていきます。随所随所で、細長い石片をくさび代わりに詰め込んで強度を高めます。ドームの頂部には冠石をはめ込みます。

一見、円環状に積み重ねたようにみえますが、螺旋状に積み上げたものであることが多いです。

石材の破片や土を盛って外側の形を整え、その上にキアンケよりも薄い石版を積み、好きな形に仕上げます。冠石の上に小さな尖塔を載せ、石灰で白く塗った帽子をかぶせます。

このように、円錐屋根も2重になっていて、壁と同じように分厚くします。分厚い屋根は、雨水の侵入を防ぎ、外気を遮断します。

外壁と内部の壁には、仕上げとして白い石灰が塗られます。外壁の白は陽の光を浴びて輝き、内部では明るくて清潔な雰囲気となります。

外壁にも、白い石灰が仕上げ剤として塗られるので、陽の光を浴びてキラキラと輝き、美しい見た目に仕上がります。

屋根は白い石灰を塗らずに濃いグレーの石肌のままにし、代わりに白い石灰で記号を描きます。

これが1部屋の単位です。部屋を複数連結して1つのトゥルッリとします。

町では、3〜9個の部屋を連結して1戸に、農家ではもう少し多い数を連結します。

部屋同士は、分厚い壁に設けた開口部か廊下でつなげます。

大きいトゥルッリでは、木の床を張って2階建てとする場合があります。2階を設けた場合、外階段で行き来します。

ちなみに、町や村のトゥルッリは密集して建てられるので、隣のトゥルッリと壁を共有しています。

トゥルッリの室内

空積みで、支持材もないので、開口部を大きくとることが出来ません。下手に開口部をとると、最悪崩れてきます。

ゆえに窓の数がとても少なく、かなり小さいです。高さ1.5〜1.8mあたりに小さな窓があるだけです。入り口も同じく小さめです。入り口は、広さと強度を確保するため、アーチ状にしている場合が多いです。

開口部がほとんどないため当然、内部には光が届きにくく、かなり薄暗いです。

薄暗さを払拭するため、内側の壁に石灰を塗って白く仕上げ、内部を明るく清潔な雰囲気にします。

通気性も最悪なので、扉は開けっ放しのことが多いです。目隠しのために、スダレを扉にかけることもあります。

煙出が構造体の中に上手く組み込まれており、通気性の悪さを補っています。

ちなみに、モルタルなしに積み重ねられているため、頭上を見上げると、ドームの内側に石が積まれているのが見えます。

トゥルッリの歴史

・円形平面のトゥルッリ

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今でこそ、トゥルッリの多くが正方形平面で部屋数が多いですが、昔は円形平面で1室か2室が一般的でした。

昔から残っているトゥルッリでは、古いものほど円形に近い平面で、1室か2室の小さなものです。

そもそも、円錐型のドームの下には円形の平面があるのが普通です。円形の平面だと、壁の上にそのまま円錐形のドームを設けることができますが、四角形に円形のドーム載せるのは難しいのです。

四角形の四つ角に円を合わせれば、四方の辺から円が飛び出ることになります。四方の辺に円を合わせれば、四つ角まで届きません。

このように、四角形の平面だと一工夫が必要なので、昔は円形の平面が素直に使われていました。

四角形の平面を用いる場合は、円形の基礎を壁の上に載せて、その上にドームを載せていました。

今は、屋根のスグ下の壁を4角形から8角形に変形して、ドームを載せやすくするという工夫が施されています。

そのうち、トゥルッリは集合して大きくなっていきました。集合により、様々な形のトゥルッリが造られることになりました。

イタリア、ヴェネチア、ブラーノ (Burano) 島

・パステルカラーの街並み

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色とりどりの住居が立ち並ぶ、美しい街で有名な島です。

住居は、2階か3階建てで、各階が1部屋か2部屋の小さな住まいです。

壁はレンガ造り、屋根は少しだけ勾配があり、瓦が葺いてあります。屋根から細くて小さな煙突が突き出しています。

ファサードは左右対称で、大胆で鮮やかなアースカラーで壁一面が彩られています。入り口と窓の枠の白色と、壁とは別の色で彩られた窓の鎧戸とのコントラストが美しいです。

歴史が古い街で、最初は葦と泥の高床式の住居を造っていましたが、1000年頃からレンガ造の住居が建てられるようになりました。

鮮やかなアースカラーの起源と理由は分かっていません。一説では、島が深い霧に包まれても、船乗りが海から自分の家を発見できるようにするためだと言われています。

ちなみに、壁の色を変更するためには政府の許可が必要でした。これは今でも必要です。

ポルトガル北部、ベイラ地区(Beira)、花崗岩の住まい

・花崗岩の家々

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・パノラマビュー

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花崗岩が、アチコチで地面から露出しているほど、豊富な土地です。

花崗岩だらけなので可耕地が少なく、少しでも広く農地を確保することが大切とされています。

住居は、その辺にゴロゴロ転がっている花崗岩で建てました。

ただし、花崗岩は非常に固くて重いので、加工がとても難しいです。建材としては一般的ではありません。

そのため、風化と断層により亀裂が入った花崗岩を使用しました。少しは加工がしやすいです。

花崗岩は非常に重いので、設置作業はテコを使用しました。

巨大な岩で壁を作る場合がありますが、たいていは小さい岩を使います。

加工が難しいので、石の大きさを揃えることはなく、不揃いの大きさのまま花崗岩を積み上げて壁を造りました。重たい花崗岩を支えているのは、木の骨組みです。

不揃いの大きさの花崗岩を積み重ねた壁は、なんとも言えない味を生み出します。

屋根は、木の垂木の上にオレンジ色のスペイン瓦が葺いてあります。

装飾は全くありません。不揃いの花崗岩を積んだ壁が醸し出す味だけで十分です。

住居は密集しており、耕作地は花崗岩の垣根で囲まれ、花崗岩を敷き詰めた道でつながっています。花崗岩で造られた街は、力強い統一感を持っています。

ちなみに、教会をはじめとした重要な建物では、花崗岩の大きさを揃えました。

スペインの北アンダルシア地方の洞窟住居

・パノラマビュー、あちこちに白い煙突が突き出しています。その下に洞窟住居があります。

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・白い煙突の下にある、洞窟住居とその正面。

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・洞窟住居、地上に向き出している部分の屋根にスペイン瓦が葺かれています。

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地中海性気候で夏は暑く、冬は寒い、カラッと乾燥している。中世ころまでイスラムの支配を受けていたため、アラブ文化の影響が強いです。

地質は、凝灰岩をはじめとした堆積物や粘土質の土壌で出来ており、洞窟を掘るのに適しています。

グアディスは洞窟住居が古くから広く使用されており、リオ・ファルデス川(Rio Fares)の峡谷やサクロモンテ地区など、洞窟住居を持つ村が点在しています。

リオ・ファルデス峡谷の村

今も12000人以上が住んでいる村です。

なだらかな丘陵地帯の地面から、白い塔がいくつも飛び出しています。これは、洞窟住居の煙突で、その下に洞窟住居があります。

洞窟住居の出入り口となる、正面の壁は小石を積んで造ったもので、漆喰もしくはタイルで仕上げられ、白くキレイに塗られています。出入り口と窓は木枠で設けられています。屋根はスペイン瓦が葺かれています。

穴はすべて素ぼりです。粘土質の土壌を叩きしめて、壁は漆喰、床はタイルで仕上げています。部屋は4つほどで、そのうちの2つほどが前面に面しています。堅いところを避けて、掘りやすい場所だけ掘るので、部屋の形はそれぞれです。

男2人で3〜4ヶ月かかる重労働です。

洞窟でありながら、地中海性気候のおかげで内部は乾燥して過ごしやすいです。

20世紀に入ってから、多くの洞窟住居が遺棄されてきましたが、最近になってリバイバルブームが起きました。内部がキレイに改装されたり、正面に何かしらが増築されたりして、住む人が増えています。

近年のリバイバルブームで改修された家は、キレイな矩形の部屋を持つ場合が多いです。

サクロモンテ地区

数多くの洞窟住居が今も存在しており、今も使用されています。

多くが傾斜路に沿って建っています。道に沿ってタイルの屋根と漆喰塗りの壁が張り出しながら並んでいる姿は、かなり美しいです。

いくつかの部屋から成り、ボールト状の天井を持つ主室、寝室、食堂、台所、寝室など、用途に合わせて使い分けられています。各部屋は、卵型の出入り口を通じてつながっています。室内は漆喰で仕上げられています。

以前はジプシーが住んでいましたが、現在は移民や難民が多く住んでいます。移民や難民は、村の外れに最近でも造っています。

スペイン、アンダルシアのその他の洞窟住居

・スペイン、アンダルシア州、カディス県、セテニル

硬い岩盤なので、壁の厚さが比較的薄いです。

・スペイン、アンダルシア州、アルメリア県、アルマンソーラ

正面の壁は石灰岩のままで、内部は滑らかに削られ、その上に漆喰を塗ってキレイに仕上げられます。

アンダルシアの白い村(White Towns of Andalusia、スペイン語:Pueblos Blancos)

・白い村の一つ

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・モンテフォリオの風景

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アンダルシア地方のカディス県とマラガ県にいくつか点在している、白い家が立ち並ぶ美しい村々です。

村では、狭くてうねる街路に白い家々が所狭しと密集して立ち並んでいます。村の中心には広場と教会があり、家々と並んで絵画のような美しい風景を創り出しています。

住居の壁は、漆喰で真っ白に塗られています。屋根は傾斜があり、赤または薄茶色の瓦が葺いてあります。

壁の白と屋根の赤がコントラストとなり、白さがより引き立っています。

住居は石灰石を積み上げた、地中海地域ではポピュラーな工法です。窓が小さく、数が少なめですが、地中海地域のカラッとした気候では湿気がないので、照りつける日光を遮ることができれば快適に過ごせます。

照りつける日光を遮るために、住居の壁を真っ白に塗ります。白は太陽の光と熱を反射するので、室内まで熱が届かなくなり、涼しく快適に過ごすことが出来ます。

白い漆喰は、地元で採れる石灰から造ることができるので、地元で採れる材料を最大限に生かして気候に対処するという、典型的なヴァナキュラー建築といえます。

多くの村がシエラ・デ・グラサレマ自然公園(Sierra de Grazalema Natural Park、スペイン語: Parque natural de la Sierra de Grazalema)にあります。

白い村の一つ、モンテフォリオ(2番めの写真)が、2017年のナショジオのトップ10に選ばれています。それほど美しい街です。

 

ギリシャ、サントリーニ島

・サントリーニ島の断崖。断崖の上に家々が並んでいます。

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・頂上へ続く道や斜面に沿って、家々が並んでいます。

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・海のパノラマビュー

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エーゲ海に浮かぶ、三日月型の火山島です。

白い壁の家々が並ぶ、美しい景観としても有名で、世界中から観光客が押し寄せる人気の観光地です。

カルデラの一部が島として残ったもので、島の周囲は断崖絶壁です。

島の土壌のほとんどは、パミスという火山砕屑物です。パミスは、多孔性で軽く、砕きやすくて掘削しやすいです。ローマン・コンクリートの素材として使用されていたほど優れた建材でした。

サントリーニ島の住居は、パミスを使用して建てられています。

島の頂上に村があり、頂上に向かうジグザクの道や山の斜面に住居が掘られました。横向きだけでなく、下に向かって掘られることもあります。

少ない土地を活用するため、隣の家とは隙間なく掘られ、ほとんどが2階建てです。

住居の前面に門と前庭が設けられています。前庭は屋根が架けられてテラスになっており、昼間はここで生活をしています。また、物置や2階へ続く階段、洗濯場、便所などが設けられています。

部屋の数は家によってまちまちですが、いくつか部屋があり、居間や寝室、炊事場などで使い分けられているのが一般的です。

テラスからの眺めと日当たりは抜群です。イスラムの影響を受けた青いドームも美しいです。

真っ白の壁

キクラデス諸島の家の特徴は、強迫観念にとりつかれたかのように家の壁を真っ白に塗りたくることです。これは、サントリーニ島に限らず、キクラデス諸島の島々共通です。

塗料は、火山灰から造った白い石灰です。

白く塗ることにはちゃんと意味があります。照りつける太陽の日差しを跳ね返し、室内を快適に保つため、真っ白に塗られています。

石灰には光を反射する性質があるので、壁の表面を石灰でコーティングすると、壁が太陽光線を跳ね返すようになります。

コーティングしなかったときと比べると、劇的に太陽光線を跳ね返します。太陽の熱も跳ね返るので、熱が内部まで伝わらず、室温も劇的に下がります。

ちなみに、コーティングは分厚く塗れば効果が増すので、壁の白色はかなり分厚いです。

近年では、白色以外の色も塗られることがあります。

また、観光地として有名になったことも、真っ白に塗りたくられる理由の一つです。

旅行パンフレットでキクラデス諸島の白い家々の風景が宣伝されたことで、観光客に白い家のイメージが刷り込まれました。もしも実際に観光客が来たときに、家が白くなかったら、イメージがガタ崩れです。他の観光人も来なくなってしまいます。

家は絶えず白くしておかないと観光客がやって来ません。住民は、観光客を逃さないため、家を絶えず白くしておくのです。

ギリシャ、キクラデス諸島、パロス(Paros)島

・パロス島の西側の港街パロイキアの風景

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・ある街角

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パロス島は、古来より質の良い白大理石の産地で、白大理石が富を生み出す源泉でした。有名なミロのヴィーナスもパロス島産の白大理石が使用されています。

果てしなく広がる藍色の海に映える真っ白な街並み、キクラデス諸島のイメージそのままの風景があります。その風景の一つが、パロス島の西側の港街パロイキア(Paroikia)です。

典型的なキクラデス様式の白い住居が所狭しと立ち並んでいます。

伝統的なキクラデス様式の特徴は、平らな屋根、石灰で白く塗られた壁、青や海緑色で塗られた窓枠、ドアとドア枠、バルコニーと手すりなどです。

大理石の山地ですが、地元産の大理石を使用することはほとんどなく、片岩を使用して住居を建てます。

以前は、玄関や窓枠、階段は地元産の大理石を使用していました。

屋根は糸杉を梁として架けて、海藻と葦、ヤギの毛を混ぜた練土で葺いています。断熱性と耐候性があるので、地中海特有の照りつける太陽の日差しから住居を守ることが出来ます。

狭い通りを挟むように立つ白壁の間に、2階に通じる急勾配の外階段を設けます。

住居のところどころが青や海緑色に塗られているのは、オスマントルコ時代の名残だと言われています。

ぶどうやオレンジ、ザクロなどが生い茂る中庭を持つ住居があり、木々が照りつける日差しを遮って心地よい日陰をつくりだします。地中海のイメージそのままの風景がここにあります。

住居が白く塗られるのは、サントリーニ島と同じ理由です。

トルコ、アナトリア高原中央部、カッパドキア地方

・ギョレメの村の風景、岩に洞窟住居が掘られています

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カッパドキアとは、地方の名前です。

カッパドキアの地層は、火山灰が降り積もって固まり形成された、凝灰岩の層から成っています。数え切れないほど長い時間の中で、自然の浸食作用により異様な形に削られています。

異様な形の奇岩がカッパドキア地方の風景を形つくっています。

凝灰岩は洞窟住居にかなり適しています。柔らかいので掘りやすく、空気に触れると化学反応で固くなり、強度が増します。

簡単な道具でも簡単に掘れるので、数多くの洞窟住居が掘られました。洞窟住居がいくつも集まって形成された集落が、カッパドキアのあちこちに点在しています。

集落の中で有名なのが、『ユルギュップ』や『ギョレメ』です。

洞窟住居が驚異的に進化したものもあり、それが地下都市です。地中の奥深くまで掘られ、多いときでは、一つの地下都市で数万もの人が暮らしていました。住居だけでなく、生活に必要な施設も掘られ、地下都市だけで生活できるようになっています。

カッパドキア全体で数十個の地下都市が存在しており、その中で有名なのが『デリンクユ』や『カイマクル』にある地下都市です。

最初に洞窟集落ができたのは、初期キリスト教の時代です。

ペルシア軍やアラビア軍から逃れてきたキリスト教徒が、自身の信仰と守るため、身を隠すために穴を掘り、そこに住み始めました。

ユルギュップやギョレメなどの村での洞窟住居の建設方法

すべて手掘りです。手斧を使って洞窟を掘り、複数階層の住居を建設します。

掘りすぎてしまうとやり直しはきかないので、失敗は許されません。掘りすぎて壁が薄くなってしまうと、洞窟を支える強度が足りなくなり、崩れてしまいます。運が悪ければ、生き埋めです。

掘りすぎて崩れた住居は数知れずです。

住居を支えるのに十分な壁や床の厚みを考慮しながら、慎重に洞窟を掘っていきます。掘った跡がそのまま、住居の壁や床、天井になるので、工程の終盤は丁寧に仕上げられます。

洞窟住居の多くが、四角い床と水平な天井、直角の角を持っており、一般的な住居のような見た目に仕上げられています。

また、戸棚や机、イス、寝台などの家具も、壁を掘って造ります。

住居が完成すると、洞窟を掘った際にでた破片を使って、鳩小屋や家畜の囲い、前庭の囲いなどの付属の建物を造ります。

レンガ造りの住居を建て、洞窟住居と併用する場合もあります。

妖精の煙突

・妖精の煙突

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カッパドキアの奇岩地帯のシンボルの一つです。円錐形の塔のような岩の上に、違う種類の岩がちょこんと載ったものです。岩が帽子をかぶって、オシャレをしたような見た目です。自然がつくり上げた、驚異的な造形です。

カッパドキア各地にありますが、ギョレメのものが特に有名です。

トルコ語でペリ・バジャラル「妖精の煙突」。

これは、上と下で岩の種類が違うことにより誕生しました。

下は侵食されやすい軟岩で、上は侵食されにくい硬岩でした。

軟岩は雨風で侵食され、崩れていきますが、硬岩は侵食されにくいので残ります。上の硬岩が、下の軟岩の盾のようになり、硬岩の真下の軟岩だけが侵食されずに残り、塔のようになりました。

見た目だけでも驚くべきことですが、さらに驚くべきことに、洞窟住居を掘って人が住んでいる場合があります。

大きいものだとなんと、5階建てのものもあります。

地下都市

・地下深くまで広がる、地下都市の階段

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最初に洞窟集落ができたのは、初期キリスト教の時代です。

ペルシア軍やアラビア軍から逃れてきたキリスト教徒が、自身の信仰と守るため、身を隠すために穴を掘り、そこに住み始めました。

洞窟住居の村や、地下都市を建設しました。地下都市の数は数十個にも及びます。

地中深くまで掘りすすめて、何層にも成る地下都市を造り上げます。

地下都市の内部には、家はもちろん、井戸、貯蔵庫、便所など、人が生活するのに必要なものがほとんど揃っていて、教会も設けられています。地下都市の内部で暮らせるようになっています。

地下深くまで掘られた換気口が、下まで空気を供給していました。

迫害から避難するために建てられたためでしょう、内部はとても複雑で入り組んでいます。

各地下都市間はトンネルで繋がれ、広大なネットワークを形成していました。

1番大きな地下都市が『デリンクユ』、2番目に大きなものが『カイマクル』にあります。その2つの地下都市はなんと、全長9kmもある地下トンネルでつながっています。

デリンクユの地下都市はなんと、深さ100m近くもあり、2万もの人が暮らせるほど巨大な規模を誇ります。

今となっては想像するしかありませんが、地下都市での生活は想像を絶するほど大変だったでしょう。太陽光が入ってこないために室内は常に暗く、かといって明かりを灯すと、煙が充満してしまう。煙を排気しようとしても、煙出しの穴の数が限られていて、煙は十分に排気できません。階段は急なうえにすり減っていて滑りやすく、通路や個室は狭いです。信仰のためとはいえ、生活していくのはかなり大変だったことでしょう。

トルコ、ボスポラス海峡のヤリ(Yali)

・海辺に建つヤリ

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オスマントルコ時代に、ボスポラス海峡の周辺の水辺に建てられた大邸宅のことです。イスタンブールに残っている、620の大邸宅のことを指します。大邸宅の多くが、19世紀に建てられてものです。

オスマントルコの支配が始める前にも、住宅は海辺に建てられていました。

ヤルとよばれる木造の大邸宅が建設され始めたのは17世紀頃です。

木造軸組工法です。外壁は羽目板張りで、美しく彩色されて仕上げられます。屋根は傾斜がつけられ、赤茶色のスペイン瓦で葺かれます。

外壁は白色が多く、屋根の赤茶色とのコントラストが美しいです。オスマンローズなどの他の色で塗られることもありました。

木造の利点は軽量で地震に強く、海辺の湿気にもある程度は強い、開口部を大きく数多く設けることができるという点です。

夏の別荘として建てられたため、窓をたくさん設けることが望まれました。

そのため、石ではなく開口部を大きくとれる木が使用されました。

住まいの周囲は庭園に囲まれています。大きく数多く設けられた窓からは海が見渡せ、独自のボートハウスや係留所を持っていたり、海を見晴らせるテラスを持っていたり、夏の別荘らしく海を満喫できるようになっています。

ヤリは土台だけ石で造られています。テラスやボートハウスなどの一部分が海に突き出すことが多いため、木だと腐ってしまう可能性があるために、土台だけが石で造られました。

イスラムの国なので、内部はハーレム(女性用スペース)とセラームルック(男性用スペース)に分かれています。

オスマントルコの崩壊によって、建てられることがなくなりました。木造で修繕と維持にお金がかかるので、数がかなり減っています。

 

あとがき

地中海沿岸には、世界でも有数の美しい街並みが広がっています。

それは、絵画のように美しく、世界の人々を惹きつけてやみません。

ぜひ一度、訪れ見てください。ヴァナキュラー建築の妙がそこにはあります。

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参考にした本

参考にした本を紹介しておきます。ここで紹介した住居以外にも、世界中の伝統的な住まい・ヴァナキュラー建築が解説してあります。

伝統的な住まいに興味を持った人は、読んでみてください。値が張るのが多いですが・・・