こんにちは。YoFuです。
皆さんは、建築は好きですか??
私は建築が大好きです。
建築は文化そのものです。建築は私達を当時へとタイムスリップさせてくれます。
建築にふれるだけで、私達は時の流れを超えることができるのです。
そんな建築ですが、時の流れの中で朽ちていくのが常で、現在まで残っているのはとてもわずかです。
わずかしか残っていない、そんな貴重な建築にも関わらず、人が自らの手で破壊したものは数知れず。
過去の文化を保存するために守っていかなければならない建築なのにも関わらず、人は自分自身で無慈悲に破壊しました。
というわけで、人が自らの手で破壊した建物を紹介します。在りし日の姿が写真に残っていれば、それも一緒に紹介します。
今回は『第二次世界大戦で破壊された建築 日本の城編』をお送りします。
首里城
場所:沖縄県
焼失日:昭和20年5月12日(推定)
沖縄の象徴的建物でしたが、沖縄戦で砲火の中に消えました。
激戦のため、いつ消失したのか性格な日時が分かっていません。
1958年に守礼門が再建され、順々に周辺の建物も再建されていきました。
2019年に再建された首里城正殿が再び火事で焼失しました。
・消失前の首里城正殿
名古屋城
場所:愛知県
焼失日:昭和20年5月24日
名古屋空襲で焼失しました。名古屋城のシンボル『金のシャチホコ』も一緒に焼失しています。
1959年に天守閣が鉄筋コンクリートで再建されました。
2020年現在、解体して木造で再建しようとしていますが、文化庁の許可がおりないため無期限延期中です。
・焼失前の本丸
・焼失前の大天守と小天守
・炎上する天守閣
岡山城
場所:岡山県
焼失日:昭和20年6月29日
岡山空襲で焼失しました。このとき、岡山城の隣にある後楽園も一緒に焼き払われました。
1964年に鉄筋コンクリートで再建されました。
後楽園は1967年に再建されました。
・焼失前の天守閣
・後楽園から撮影した、焼失前の天守閣
和歌山城
場所:和歌山県
焼失日:昭和20年7月9日
和歌山県の観光名所として有名でしたが、和歌山大空襲で焼失しました。
1958年に鉄筋コンクリートで再建されました。
・1932年に出版された旅行案内に掲載された、焼失前の天守閣の写真
仙台城 大手門、隅櫓
場所:宮城県
焼失日:昭和20年7月10日
門と櫓が仙台空襲で焼失しました。
被害が少ないと思うかも知れませんが、戦争が始まる前にはすでに本丸をはじめとした城の大部分はすでになくなっていたので被害が少なくなっただけです。
本丸は再建されていません。本丸があった場所には会館が建っています。
・焼失前の大手門
宇和島 城追手門(大手門)
場所:愛媛県
焼失日:昭和20年7月13日
焼失したのは大手門だけで、天守閣は被害を免れました。現在も現存12天守の一つとして残っています。
松山城 天神櫓以下11棟
場所:愛媛県
焼失日:昭和20年7月26日
空襲で焼失したのは櫓や門など11棟だけで、天守閣は運良く被害を免れました。現在も現存12天守の一つとして残っています。
空襲を免れて残った筒井門など3棟は昭和24年2月27日に放火されて焼失しました。
大垣城
場所:岐阜県
焼失日:昭和20年7月29日
大垣空襲で焼失しました。
1959年に鉄筋コンクリートで再建されました。
・焼失前の天守閣
広島城
場所:広島県
焼失日:昭和20年8月6日
原子爆弾『リトルボーイ』に破壊されました。
1958年に鉄筋コンクリートで再建されました。
・絵葉書に描かれた、消失前の天守閣
・アメリカが撮影した、原子爆弾で破壊される前の城全体の航空写真
・アメリカが撮影した、原子爆弾で破壊された後の城全体の航空写真
福山城
場所:広島県
焼失日:昭和20年8月8日
福山大空襲で焼失しました。
1966年に鉄筋コンクリートで再建されました。
・焼失する前の全体写真
あとがき
いかがだったでしょうか。
戦争は人類の宝を無慈悲に破壊していきます。
ここで紹介したのは城だけですが、城の中には文献や絵などの貴重な文化財が収蔵されていたので、それらも一緒に焼き払われています。
戦争も人の歴史の一部なので、戦争による焼失も時の流れに消えていったと言えるでしょう。しかし、戦争なんか起こさずに、できるだけ多くの建築を残していきたいものですね。
おそらく、将来の子どもたちは「貴重な建築を破壊しやがって!ふざけんなよ!」と怒るでしょう。今の私達が怒っているように。
今回の記事は文化庁が出版した『戦災等による焼失文化財』を参考にしました。