YoFu’s Taravel Blog

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旅で感じたエッセイ 第ニ回『日本語のまったくない空間』

旅をしている最中、日本語のまったくない空間にいると不思議と落ち着く。

アルファベットもまったくない、まったく馴染みのない言語しかない空間だともっと落ち着く。

たとえ、騒々しい雑踏の中にいたとしても、人々の会話が溢れた空間の中にいたとしてもである。

日本にいるときに騒々しい雑踏や人々の会話が溢れた空間にいたとしたら、絶対に落ち着かない。

なぜ落ち着くのだろうか。

それはおそらく、意味を持つはずの言語が意味をまったく持たない音楽へと変化するからだと考える。私の周りが音楽で満たされるからだ。

そもそも、全ての言語には意味がある。だが、言語の意味を知らなければ意味を理解することはない。

意味を理解しなければ、言語はただの音へとかわる。

日本語は耳に入った瞬間、頭の中で意味を持った音にかわる。たとえ聞きたくないことだとしても、条件反射で意味を持ってしまう。

日本語の意味を知っているからだ。

意味を持ってしまえば、頭の中で反応が起こってしまう。否応なしに、何かの感情を抱いてしまう。何か余計なことを考えてしまう。

聞きたくなければ耳を塞ぐしかない。

まったく馴染みのない言語だとそんなことは起こらない。

言語の意味を理解していないので、耳から入ってくる言語は音楽へとかわる。言語は頭の中で意味をなさない。

つまり、日本語のまったくない空間は、オーケストラ会場にいるのと同じということだ。

とても心地がよい。心が落ち着いてリラックス出来る。

周りに振り回されることなく、周りに邪魔されることなく、自分の気ままに過ごすことができるから、日本語のまったくない空間は落ち着くのだろう。